社会構成主義では、交わされる言語概念によって世界が作られると定義するようだけれど、絶対的な真実とか正義とかもなくて、人々の対話によって真実も正義も構成され共有されるということ。この思想から導かれるセラピーがナラティブであり、オープンダイアローグなのでしょう。
家族という概念も愛という妄想も、自分という存在もまた、他者との関わり、対話の中で形作られるもので、自分一人で作られるものではなく、まともな対話、多様な言葉を持たない者が、まともな自己概念も安定した家族概念も作ることはできず、孤立暴走して事件を起こすか病理化して薬漬けになるか、はたまた、DV家庭や虐待家庭として問題を連鎖させるか・・
そのまともな対話というのは、それぞれの身体や心、意識を感じ言語化することと、その言葉を受けた他者がそれに反応するという、対話・・もちろん非言語な表現も含め・・が繰り返されることで、成り立つものであり、言葉を与えられないとか、抑圧を受けて言語化できないとか・・そういう環境で育てば、まともな対話は不可能であり、自分にふさわしい自己概念や家族関係を作ることはできず、与えられた概念(恋愛妄想・家族ファンタジーなど)に依存して、結婚し家族を作る・・・うまくいくはずないよねえ。
幸い、それで困難に陥って、私のところにやってきた方たち「世間のあるべき家族を作れなかったダメな自分」から、「ほんとの自分、楽で自由な自分、幸せな家族の有り様に気づくことができた自分」に、自己概念を解体、再構築することが可能です。
というわけで、昨夜の男ワーク「自分を語る」というお題のワークを行いました。女性三人を含む十名の参加者で、それぞれ自分とは何か、どういう存在か、語りあって頂きました。
相手と語り合う内に新たな自己概念、家族概念に気づいていくわけですが、そのためには、うまく自分を語るそれなりのテクニックもあって、それをお伝えしてのワークでした。
そうそう、昨日は、知人の農家から預かった野菜を事務所前で無人販売。値段は破格値、市価の半額以下。
美味しい野菜を美味しく食べてもらって・・・