支援・援助論

フェミニストの言う人権って何だ (続)

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私はメンズサポートルームを立ち上げ、男の非暴力グループワークを京都と大阪で開催してたけれど、数年後物理的な問題やそれぞれのスタッフの価値観の違いで、メンズサポートルーム京都とメンズサポートルーム大阪に分かれることになります。その価値観の違いは、ワークに女性を排除するか否かというところも。

そもそも私が男性運動に関わりだした頃、私はサラリーマンを辞め、専業主夫からパートの主夫になり、女性の経営する女性だけのレストランでパート店員してたりとある助産院でクッキングのお手伝いをしたりしていました。その中で、女の価値観や言動について多くを学ぶことができました。

男性運動を進めるにしても、女性の現実を知らずに運動するのと知って運動するのとではそのあり方が異なるのも当然と言えば当然。とはいえ、一緒に活動してたメンズ仲間は、学者専門家が多く彼らの女性理解はフェミニストの言説による理解です。実際、パートナーがフェミニストという仲間は多くいました。そもそもフェミニズム周辺にいた男たちがメンズリブを立ち上げたわけですから。

彼らは家族するにも仕事するにもフェミニストと価値観も利害も一致しているから、フェミニストではない女たちを理解することは難しくても当たり前です。私は学者でもないし、パートナーがフェミニストでもないし、フェミニズムからは「抑圧する男」のひとりとしてしか理解されない立場です。そんな私が市井の女たちとの数年の語り合いの中で学んだ女の本音はフェミニストの建前の言説とは異なるものでした。

そんなこんなで、私はメンズとは関わりのないところでの女性支援も含めたレターカウンセリングの支援グループを立ち上げ、やがてその活動と男性支援の活動と統合させた「日本家族再生センター」を立ち上げたのが15年前です。

「日本家族再生センター」の名はフェミニストサイドの有名女性支援団体「日本DV防止情報センター」のパロディーでもありアンチでもあることを意味づけました。個人的にもそちらの方たちとも多少は関わりはあったから、こりゃダメだ・・との直感も働いてました。彼女たち、男性のことはしらないし、抑圧される女たちに共感的であるようにも感じられませんでした。これでは女も男も救われない、DV問題は解決しない・・との判断で再生センターを立ち上げたということです。

この私の、アンチフェミに見える言動があるからか、メンズ仲間とも多少のスタンスの違いは出てくるようです。彼らはフェミニストとの関わりの中で、男性論を言い、活動していたからフェミニストに嫌われることもなく、当事者性のない、権威権力志向の立場で当事者を理解します。行政やアカデミズムの中で加害当事者に共感的な活動は出来るはずもないようです。

その象徴といえることは、男性論を我が国で初めて講義した伊藤公雄がハーグ慎重の会に名を連ねていたことです。その伊藤はもちろん、それまでメンズの活動の中で私と関わっていた、学者も専門家も私の冤罪セクハラ訴訟を機にあっさり私との関係を遮断してしまいます。

そのセクハラ訴訟・・私のところを嫉妬妄想やら虚言やらで私に激しく怒りをぶつけて退職した元スタッフが半年後、私を潰すために同じく私の事務所を辞めた方たちを巻き込んで、セクハラを捏造し損害賠償請求する民事訴訟を記者会見して提訴したというわけ。事実もない、それまで相談も苦言もない、退職して半年後のいきなりの民事提訴、マスコミのカメラに向かって私は「寝耳に水」としか言えませんでした。

それ以降、行政からも学者専門家からも一切関係を遮断されている私、実は、活動としてはずいぶんやりやすくなったのも事実です。フェミニストや行政の意向を気にせず、男女当事者の支援ができるようになったのですから。

加害者と被害者、男性と女性を同時に同じ場で支援するなんて、行政の指導からは逸脱しています。ましてや、酒の場を共にしたり、キャンプと称して生活を共にしたりと世間の常識ではありえない設定で支援を続けてこれたのも、行政やアカデミズムから一切切れているからと言えるでしょう。行政やアカデミズムに依拠していれば、それらはフェミニストの歪んだ価値観に縛られているから、当事者の視点での支援は難しくなってしまいます。

もちろん、経営的には苦しくなるのですが、力のない有償スタッフを常時雇うのをやめ、有能な方を必要なだけパートで雇うという形にしたことで、出費が減りました。さらに、私が本人訴訟で一年間戦い続けたこと、ぶれることなく支援を続けたことで、私の支援を受けたクライアントが今度は私を支援してくれて新たなクライアントへの口コミとなってくださいました。かくして却って経営的には安定していくことになります。

こうして、権力構造が当たり前の世間の常識やフェミニストの援助論とは異なるところで、当事者の当事者による当事者のための援助論・援助実践が、私の提言するメンズカウンセリングとして育っていくことになりました。

そんな私の支援を求めて、加害男性はもちろん被害女性も加害女性も支援を求めてこられます。そんな多くの当事者の支援を続けていく中で確信しているのは、世間の当事者理解も、女性支援もまったく的外れだということ。

人権というのは個々人の生き方、価値観のありように直結するものであり、地位や権威を持つものが、これが女の人権、これが男の人権とその価値観を押し付けるものではないということ。マクロの性別による権力構造の解消も大切だけれど、一人一人の体験や思いを分け隔てなく尊重することも人権尊重には不可欠。

多くのフェミニストはこのあたりを混同しているのか、自分がそれなりに地位や権力を持った時に、自身の価値観で当事者を支配するという、性差別する男と同じ構造に陥ってしまいます。

結論を言うならば、性差別は、男と女の対立の問題ではなく、個々人の間やカテゴライズされた集団間の権力問題、パワーコントロールの問題です。このことを理解しないフェミニストは支援の名の下に女性に二次被害を与え、家族解体に加担し、女と男の相互理解を妨げ、結果的に性差別を助長していると言えなくもありません。

今も男女共同参画に莫大な予算が付き、日本中で女性支援が行われていながら、ジェンダー開発指数も先進国で最低、幸福度も低く、フェミニズムが強い北欧各国とは桁違いです。なぜでしょう。

フェミニズムが正しい価値観だというつもりはないけれど、一定の評価はする私です。が、その私には、日本のフェミニズムの有り様も、そのフェミニストに擦り寄る男性論論者も、人権意識としては途上国並み、お粗末としか言えません。

もちろん、人権に関わるのはフェミニストだけではなくて、司法も行政も、そして経済社会も、あらゆる社会の仕組みが人権に関わっています。それらのすべてが先進諸外国から半世紀ほども立ち遅れ、むしろ後退し日本が荒廃しつつあるように感じるのは私だけではないでしょう。

先日、名古屋地裁で、行政の支援を受けた女性と支援した愛知県が、虚偽DVを捏造したとして、夫の主張を認め損害賠償するよう判決をだしました。司法はこれまで、DV支援やそれに関わる引き離し問題において人権を蹂躙する判断を続けてきました。もちろん法律の不備はあるのですが、法律の運用が恣意的で問題が多く改善を要するとの初の判断です。

もちろん地裁の判断なので、これで日本の司法が劇的に変わるなんてことはないだろうけれど、問題の方向性は少し世間にも見えてくるのかなと思います。

繰り返します。性差別とは何か、それは女と男の差異や対立の問題ではなく、一人一人の多様性や自由が否定され、抑圧を受けること。そしてそれをなくすためには戦うのではなく、対話と相互理解を進めること・・・一言で言えば・・・愛することかな。

前回と今回、二回に亘って、私の活動と男性論やフェミニズムとの関わりについて、ラフに説明してみました。異論も反論もあることと思います。コメントいただければありがたく思います。が、その際は名前はさておき、その立場や状況をお書きの上である程度のエビデンスを伴ってお書きくださるようお願い致します。一方的、感情的で冷静さも発言の根拠もないものについてはコメントをお断りさせていただきます。

最後までお付き合いいただいた読者の皆様には感謝致します。ありがとうございました。お疲れさまです。6/17にはレッドピルの上映会でお会いしましょう。懇親会でたっぷりおしゃべりできたらと思います。

事務所のジャスミン、金魚草も満開に・・甘い香りに満たされます。

 

 

 

 

 

 

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