日本では離婚届けさえ出せば簡単に離婚できるし、離婚も増えてきました。けれど、単独親権なので離婚を巡って子供の奪い合いになります。
共同親権にして離婚後も子供の養育に責任と義務を負うことにすれば、離婚後の子供の奪い合いにもならないし、面会交流も義務化すれば、親子引き離しという悲劇も防げます。
離婚したら子供がかわいそうという意見も多いけれど、離婚できずに争う両親のもとで、日々傷つく子供はさらにかわいそうかもしれません。
離婚するしないで揉める夫婦は多いし、その対立を飯のタネにしている人も少なからず存在します。私もその一人と言えなくもないけれど、私と彼らの違いは、修復的立場に立つか否かというところ。
DVだろうとモラハラだろうと、単に別れさせて解決というものではありません。当事者家族が癒され、みんな幸せになることを目指す私は、誰かを悪者にして排除すればいいという思想は持っていません。
こんな私・・離婚してもしなくてもどうでもいいと常々発言しています。あんなものは国家の国民管理の道具にすぎなくて、家族が幸せになれるか否かにはほとんど関係ありませんから。
離婚云々ではなくて、相互の信頼関係やいたわり、自立と相互扶助ができるかどうか、相互に適正な距離や関係を維持できるかどうか、それが大切。それらができるなら、婚姻届や離婚届を出そうが出すまいが、どちらでもいいのです。
逆に相互理解も相互信頼もなくて、単にセックスしたから結婚するとか子供ができたから結するというのはなんとも危なっかしい話。結婚がゴールインなんてとてもとても私には思えません。
毎日のように対立し傷ついてる夫婦のお話を聞かせていただく私は、結婚というものが、とても危ういこと、と実感する日々。
今日のカップルカウンセリングでも・・いろいろトラブってお互い傷ついて・・・でもなぜ傷つくのかどうしてトラブったのかもわからず、今日初めて、相手の本当のことが理解できたと話されてました。
結婚して長い間一緒にいても、ほんとは何にも分かり合えていなかった、ということでしょう。私という通訳がいて初めてお互いの気持ちがわかるということですね。
私は、10年ほど前にお互いが離婚届にハンコついて、嫌だったらいつでも、どちらからでも出せるしね、という約束を交わしました。
あれから、その届けはどちらからも出されることなく仕舞ったままだけれど、法律で縛りあう関係で家族という幻想にしがみつくなんてしたくないし、相手の自由を奪いたくもありません。
そうそう、昨夜は大阪で女と男のワークでした。スカイプ参加も含めて8名の参加となりましたが、どの男女参加者も離婚体験や別居中の当事者ばかり。ワークはエゴグラムを。
語り合う中で夫婦間の対立が起こったのは、いい悪いの問題ではなく、相互に対人スキルやらコミュニケーション能力、自己肯定感が低く、関係をうまく作れなかったということに理解が進んでくれたようです。
これからはみんな幸せになろうね、ということでおひらきとさせていただきました。