昔々、キーラ・ナイトレイがSMマゾ女を演ずる「危険なメソッド」なる映画が印象的だったのを覚えてます。何が危険かって・・心病んだ女をフロイトに任されたユングはその女を囲って自分の愛人にしてSMに耽ってたんだから・・ねぇ。
この映画のストーリーがどこまで真実に基づいてるのか知らんけれど、まったくの嘘ではないでしょう。
「若きユングの最初の患者にして恋人,後にフロイトに師事して独創的な精神分析家,児童心理学者として高い評価を得たザビーナ・シュピールライン.しかし母国ロシアに戻った彼女を待っていたのは,スターリン時代の粛清により弟三人を銃殺され,自らも侵攻してきたドイツ軍に娘二人とともに虐殺されるという残酷な運命だった.ユングとフロイトの決裂の原因となったスキャンダルの当事者という歪曲された烙印を押されたまま,先駆的な業績とともに歴史の闇に葬られていた波乱の生涯と学問を,膨大な史料と各国にわたる調査により丹念に跡付けた画期的な力作.」https://www.iwanami.co.jp/book/b261163.html
とかくカウンセリングとかセラピーは、支援する者とされる者の権力の差とか価値観の相違とかがあって依存関係になりやすいし、そこにセクシャリティーの問題があると容易にセクハラやモラハラになりやすい。
ユング・ザビーナのケースは時代の問題もあるし、セラピストとしてユングの行為がひどいこととして日本で紹介された様子もない・・私もこのことでユングに対する評価を云々するつもりもない。
さらに、現代はセクハラ問題がいろいろ世間を賑わしているのもあつて、当事者の心も揺さぶられやすくもなっているでしょう。そんな昨今の世情のなかでのセラピーのリスクをいまさらながら感じないではいられません。クライアントとセラピストが密室の中で対面するのですからねぇ。
私自身、十数年前、クライアントではないけれどブチ切れて退職したスタッフに半年後にやってもないセクハラをでっち上げられて民事提訴されたと言う体験を持ってますからねぇ。あれ以来、セクハラやモラハラの「被害者」のセラピーを行う中でも、セラピストである自分の正義や尊厳をいかにして守るかということに意識が向かわないはずはありません。
しかも、メンズカウンセリングは回復したクライアントであるセラピストが、渦中のクライアント(当事者)をパワーコントロールしないで、understandの立ち位置で、当事者に向き合い、よりそっていくということを前提としてるし、セラピストもまた、自身の傷つき体験を有する当事者であることが大きく、セラピストにとってもとても困難で、危険なセラピーであるかっていうことも実感しています。
でもねぇ・・・・世間のセラピーや医療はいろんな枠を設けてセラピストを守る構造があるけれど、それがいかに当事者を傷つけ、二次・三次被害を与えているかって言うことも事実で、そのあたりはメンズカウンセリングは、クライアントに優しいセラピーであるとも言えなくもありません。それゆえに世間で回復が難しかった当事者がメンズカウンセリングで回復したと言う事例が多々あるのも事実。
メンズカウンセリングの有効性と危険性・・裏腹なものなんですよねぇ。ですが、その有効性を鑑みるに、私一代で終わらせるのはあまりに惜しい・・・なんとかしたいと思いつつ、古希の誕生日を迎え、祝いの言葉や物品も一切を固辞しつつ、残り少ない時間の使い方を思案する癌患者の私です。