昨日の女ワーク、リアル参加が三人で、オンライン参加が四名ほど。お題は「もし生まれ変われるなら」。輪廻転生を信じるか信じないかは置いといて、もし新しい人生をスタートできるとしたら、どんな状況で産まれ変わりたいか・・というもの。
当たり前のことだけれど、優しい両親のもとで産まれて、さほど不自由なく育ちたいという願望。そりゃそうだ、みなさん親の問題を受け継いで大人になって、結婚したらその問題が表面化して、私のところにやってきてるのだから。
大金持ち・・と言いかけた人も・・・すぐに訂正して、自由に生きれる環境とか言ってたかな。お金は確かに魅力的だけれど、それは幸せの必要条件ではないということにうすうす気づいておられる様子。
で、私が、今の性とは反対の性に生まれ変わりたい人はいるか、と問うたけれど、だれもいなくて、今のままの性(女)のままでいいと。
昔、フェミニズムに関わり出した頃は、女として苦労させられ傷ついてきたから、産まれ変わるなら男がいい、との言説も耳にしたような気もするけれど、少なくとも、私のワークに参加される方は女であることにさほど苦痛も嫌悪感もない様子。女として傷ついたことがないからなのか、傷つきが癒されて女としての自己一致が達成できたからなのか、そこは不明。
とはいえ、女であることの被害者性を殊更煽り立て、それで加害者である男に敵対的になることをあおるフェミニスト・・とくにジュディス・ハーマンのような危険有害な支援ではなく、その本人自身がどう感じて、どう対応してきたか、本人の主体的な意味づけを是とする私のセラピーでは、セラピーの中での再受傷は起きづらいのか、自分の性体験をたんたんと語る方が少なくありませんでした。
ことは性だけではなく、何かにつけ、人間関係を加害被害の関係に持ち込んで、被害者の保護という美辞のもと多くの人を加害者としてコントロールする、支配する側の魂胆も見え隠れしています。
女の性が、保護を要する弱者の性で、特別に扱われるべきとの言説は女自身の性的自由や、自己決定を阻害する危険性があるということ、だから、女の性として一括りにするのではなく、妊娠や出産について特別な保護が必要とされる、とすべきではないかな。
そんなこんなを考えさせられた、昨日の女のエロ談義ワークでした。それにしても、女も自由にエロ談義できるのは、大切ですよね・・・性の自己決定のためにもね。
ワークの後のランチはあさりとソーセージの冷製パスタでした。