まあ、いろんな夫婦のトラブル、葛藤に付き合ってきました。暴力、借金、浮気、酒、ギャンブル、病理・・などなど。
暴力の渦中の夫婦には、シェルターを提供して一時分離したり、カウンセリングや、グループワークで、脱暴力支援したり。
高葛藤のまま離婚した夫婦には子供の面会交流支援をしたり。離婚後の養育不安を抱える母子には、グルメナイトで擬似家族セラピーをしたりと・・
思いつくもの、求められるものは何でも支援のツールとして立ち上げてきました。その結果、誰もやってない、複合的修復支援という支援形体になったというわけ。
世間では支援とか、カウンセリングとかいう時に、そのクライアント個人の問題として、その個人の訴える問題を解決しようと問題解決のためのシステムを作り、システムを構造化してしまいます。
クライアントの訴える表面的な問題を解決するシステムができ、構造化された時、その構造で利益を得る人たちが現れ、構造を維持するためにクライアントが必要となる、という本末転倒した結果になってしまいます。これはDVでも、虐待でも、医療でも、福祉でも同じことが起こります。
で、ナラティブで言われるのが「問題が問題だ」というテーゼです。クライアントの訴える問題とは何なのか、それを理解するということがまず不可欠。けれど、クライアントの訴えるその問題はクライアントの認知や情動、トラウマとして、クライアントだけを観察しても何も理解できないだろうというのが私の考えです。
それはクライアント自身自己覚知できない無意識がその生育や体験、学習などによって構築されているから、自分の行動の原因が自分にあることに気付きにくく、表面的な問題を問題の本質と理解し、その訴えに支援者が巻き込まれてしまうからです。
夫のDVが怖いんです、とクライアントが訴えた時・・・お酒をやめられないんですと言われた時・・・妻が浮気をしてるんです・・・などなど様々なクライアントの訴える問題を解決すべく、専門家があれこれ支援やセラピーとして行うのだけれど・・・。
DV夫が怖い・・・分離保護しないと妻が危なくなる・・さぁ、シェルターだ、弁護士だ、離婚だ・・・とか、浮気だ、証拠を押さえて、提訴して、誓約書を書かせるんだ・・・などなど・・・本人も支援者も問題の表面にだけ意識が向かい、その問題を排除、することで問題解決・・・となるのが、世間の支援であり、それに沿うのがカウンセラーなのかもしれません。
でもねえ、DVでも、浮気でも、ギャンブルでも、問題の表面の背後には、家族の問題も、会社や学校など社会の問題があり、国の制度や法律、人々の意識や文化の問題があり、それは、社会病理という理解ができます。社会には差別抑圧構造があり、その病因があるからこそ、個々人に様々な問題が病理症状として表面化するということ。
さらに、問題の背景としての社会病理の問題とリンクする本人の無意識・情動の問題があります。それは生育における体験の中で無意識に刷り込んでいく思考パターンや行動パターン、いわゆるシェマとかスキーマ、あるいは認知と言われることや、トラウマの問題です。
これら社会病理的な問題や無意識領域の問題を解決しなければ、いくら表面的な問題を除去してもまた時を経て問題が再発したり、別の症状として発症します。
DVは治らない、と言われることや、離婚してもまた再婚してDV被害にあってしまうとか、そういう現象が起こるのは、問題の本質的対応をしてきていないからでしょう。
では、問題の本質的な解決はどうすればいいんでしょう・・・それはねぇ・・また明日。
それにしても今日も暑い京都。予報では39度だとか警告してたな。