いろんな方のお話を聞かせてもらう私だけれど、しばしば「あいつにはマジ死んでほしい」と話される方も少なくありません。
もちろん、DV被害者の方の発言が多いけれど、男性でも相手のコントロールに耐えかねて相談に来られた方は同じように発言される方もおられます。
これは長年の恨みつらみ憎しみの感情がそういう言葉になってるのだろうけれど、コントロールを受けている場では、そういう言葉を発する事はできず、恐怖や不安に苛まれ、自分の感情を押し殺して生き延びるしかありません。
私のところに逃げてきたり、安全が確保される場に来て初めて、押し殺した感情を自分で受け入れ、言語化する事ができます。
けれど、コントロールしている相手にしてみれば、パートナーが何も語らないうちは問題があるとも感じないし、自分に問題があるともおもわず、いい関係が維持されていると誤認しています。
だからコントロールされてた人は、コントロールに耐えかねて逃避した時にやっと「死んでくれ」と言えるわけで、長年のコントロールを受けている人の思いと、コントロールしてる人の思いのギャップの大きさは絶望的です。
けれど、その絶望的な関係も、コントロールしている人にはまったく理解できないし、家族として虚しい生活をしている事にも思い至る事はありません。おそらく家族が崩壊してもその理由もわからないまま、混乱と不安、怒りと恨みの感情にとらわれてしまうのでしょう。
何気なく暮らしてる家族から「死んでくれ」と言われるような関係でしかない、その家族の闇・・・家族が崩壊する前にその事に気づいたら、なんとか家族再生も可能だけれど、たいていその事に気づくのは家族崩壊してからの事。痛ましい話。
あなたも誰かから「死んでくれ」って思われてるかも・・・
えっ私? 私はいろんな人に妄想され嫉妬され、挙句に嫌われもいるだろうから、死んでくれって思われてるかもね。でも大丈夫・・・死なないでねーって言ってくれる人もたくさんいるし、第一、私の命は預かり物、死ぬも生きるも思し召。人の思いはあまり気にしてません、あしからず。
昨日の来談室と来談室のベゴニア。
今は盛りのビオラとムルチコーレアップライト
昨日のランチは久々にリッチに目玉焼きと自家製ヨーグルト