カウンセリング日記 支援・援助論

絶望と希望のオセロ

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先日ある方と話してたとき、パニック発作が話題になりました。その方も一応は回復されてて、今は別の問題で困っておられるようでしたが、パニック発作の時の辛さはなかなか体験しないとわからないよねえと、話が盛り上がったのは実は、私も若かりし頃不安障害に陥ってて、時々パニック発作に苦しんだ体験があったからです。

発作が起こると、不安の回路が暴走して、生きていけないと感じるほどの恐怖に囚われてしまいます。私の場合、それは身体的な問題や、状況の問題でもなく、認知の問題だったと言えるでしょう。

当時の私は社会に不適応な自己概念やらアイディンティティーやらを抱えることで、答えのない不安のループにはまってしまっていました。その恐怖から脱出したり不安から逃れるために、私は常にアルコールをそばに置いてました。不安が来そうになると、夜昼なくスピリッツを流し込んでいました。味わうとかいうものではありません。いかに早く神経の暴走を抑えるか、ですから。

あの当時、高校生の頃から30歳になるまで、そんな不安や恐怖から逃れるには唯一アルコールしか手段もなく、素面でいるときはいつもその恐怖に怯える暗黒の日々だったと言っても嘘ではありません。

けれどラッキーにも急性肝炎を患って完全に動けなくなり、自分でも劇症化を覚悟した時に、死の恐怖と向き合い自分の命の意味を理解し手放す勇気も得られました。

さらに幸いなことに、その覚悟を決めた時から病状は回復に向かい、2ヶ月で完全に回復できました。そしてその時の覚悟やら再構築できた自己概念は私に新しい人生を可能にしてくれました。目に見えるものは虚構に過ぎず、見えないものの中にこそ、真実があるということ。金や地位、名声、仕事、家族・・すべて虚構だということ。

そんな私が今、不安や困難の渦中にある方のお話を聴かせていただくのですが、その方にとって生きていくのが辛い現実も、実はその方自身の心の中にある世界の出来事。不安や恐怖や絶望も・・言葉の意味を組み替え、物語を書き換えていくことで、あたかもオセロゲームで黒いコマがパタパタと白く裏返っていくように、劇的に変化していくことすら可能です。

私はそのお手伝いとして当事者との語りを紡いでいくわけですが、その時、私の過去の暗黒の日々が実は希望の日々として輝いているのです。ほんと世界は量子的、絶望も希望も、生も死も、実は同時に存在するし、囚われて苦しむこともありません。

こんなことはどんな宗教も説いていることではあるだろうけれど、近代的な価値観に囚われた多くの人には、なかなか理解しがたいことかもしれません。けれど、悩んで苦しんでいる当事者には案外素直に理解できたり・・・キリストも親鸞もそんなこと言ってるよね・・・ほんとに世界はパラドックス。

 

孔雀サボテンの二輪めが咲きました。

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