昨日のオンラインワークでは、かあちゃんに逃げられて一人暮らし、子供にも自由に合えない、そんな方が何人もおられて、ひとりで暮らすことのさびしさを切々と訴えられます。
もちろん気持ちはよくわかるし、極力、受容だの共感だのの言葉は使うけれど、そこからもひとつ・・お尻をプッシュしたくなる私。
一緒にいた時は寂しさを感じなかった・・としたら・・それが問題じゃね、相手の痛みやら悲しみに気づくことなく、自分は頑張ってるんだ、問題はないはずだ・・なのにかあちゃんはいつまでもわかってくれない・・・という認識だといずれ破綻するリスクは高いよね。
かあちゃんがいないことの寂しさや不安に意識を向けるのではなく、かあちゃんがいないことの自由やら、楽しみに意識をむけたらわ・・・・なんて思う私は、寂しいって感じない人だしね。自己完結してるっていうのか、人に承認欲求を満たしてもらおうなんてそもそも考えないしね。
いずれ楽しい人生を満喫できるようになったら・・たぶん、かあちゃんやこどもたちも寄ってくるんじゃないかな。無責任な言い方だけど・・・難しい顔して戦いを続けてても、関係は良くならんよな気がする。