家族間葛藤やらDVだのモラハラだの・・・多かれ少なかれ、どの家庭でも何かしら問題を抱えています。一見、幸せ家族のように見えても、誰かが辛い思いをしてたり、心通じ合うこともなく、ただ同居してるだけとか・・・・・。そんな方が、人には話せない思いを抱えて私のところにやってきます。
そんな方はみなさん、かなり傷ついていたり、不安を抱えていたり・・・・それは家族の誰かの言動によるもので、ご自分の被害体験を切々と語られます。私はその語りに耳を傾け、心に寄り添うわけですが、いいの悪いのという言葉は使わないよう心がけています。
自分を苦しめた相手を悪者として糾弾してほしいという、報復感情はわからないわけではありません。けれど私が善悪で語り始めたら、問題の本質が見えなくなってしまいます。そうなると、問題の解決が難しくなってしまいます。相手を悪者とすることで、自分の責任とか自分の抱える問題に蓋をすることになるのですから。
それまでも、相手に期待し、裏切られ、傷つき・・・そんなことの繰り返しが続いている場合がほとんどです。そんな方との対話の中で、なぜ相手に期待したのか、裏切られたらなぜ傷つくのか、ほんとは自分が何をしたかったのか・・・答えをすべて、相手ではなく、ご本人の中に求めるよう私は聞き込んでいきます。
対話がすすむにつれて、相手の問題から、自分の問題へ、今の自分から過去の自分の問題へとフォーカスの視点が移っていきます。結局生育の中でいろんな問題のタネを心に撒いていることにも思い至ります。その時点で、育ち直し・・時には産まれ直しの作業に移っていくのですが・・・・
そこからは限られた時間・空間、セラピストとクライアントという権力関係では、セラピーが難しくなってしまいます。
というわけで、私はシェルターやら、グループワーク、グルメナイト、メンズクッキング、作業療法を兼ねた古民家セラピー・・など様々な支援を行い、私はお母さんになったり、産婆さんや、隣のおっちゃんやたよれるお兄ちゃんになったり・・するわけです。
結局、家族で傷つき、その傷を癒すために家族ファンタジーにすがり、さらにファンタジーが崩壊して傷つきを深めていくことで、幸せがすっかり見えなくなってしまうのですが・・・私のセラピーの中で、過去得られなかった家族体験を擬似体験することで、あるがままの自分を理解し、受け入れ、自己肯定することができるようになります。
いずれ、相手の問題ではなく自分の幸せを自分で見つけ、誰かに頼らなくても幸せな自分に成長していくことになります。そういう意味ではどんな人でも幸せになることは可能です・・いろんな人と対話し、受け入れられ、大切にされ、愛されることができれば・・・けれど、そんなセラピーを可能にする場は多くないし、加害被害、男女を超えて様々な支援を提供しているのは日本では私だけかもしれません。
こんな援助・・・誰にでもできるわけではないだろうし、資格や知識でできるものではありません・・というよりその権威、知識がセラピーには不都合です。それらを捨てて、裸で向き合うことが求められますからねえ。
ママンになった私(笑)
そうそう、先日のカップルカウンセリングの彼、防衛が強くて、本人自身も防衛していることに無自覚で・・・その姿が少々痛々しくもありました。おそらく、これまでの人生・・人にコントロールされることで随分傷ついてきたんだろうな・・と、勝手に妄想してた私です。早く楽になってほしいと願わずにはいられなかつたけれど・・いつか幸せを見つけられるのだろうか・・・。