多くの人は「あるがままを無条件に受容される体験」を経験しておらず、何かしら親や社会の望む行動を選択するように条件づけられて育てられます。それが厳しいほど、子供は自己の情動と求められる行動の不一致も大きくなり葛藤を抱え込みます。
その葛藤から心が壊れないような仕組みが心には備わっていて、フロイトはそれを「防衛機制」と呼んで、いろいろな形があることを提言しました。嘘をついたり、忘れたり、心にもないことを言ったり、顔色を伺ったり、時には人格を分離したり・・・そんな無意識の心のプログラムで生き延びるのですが、そのプログラムは幼少の頃からの刷り込みなので、おいそれとは書き換えられません。日本語をいきなりフランス語に変えろと言われても無理ですよねえ。そんな感じ。
そして大人になってもそのプログラムで生きてますから、その人は別の価値観で動いてる社会ではうまく適応できません。嘘をついたり、忘れたり、顔色を伺ったり・・そんなことではねぇ。
・・・で、なんとなくそのプログラムでもうまくいく相手・・なんとなく昔と同じ関係を漂わせる相手には、自然とうまく関われるようになるから、これ不思議、信頼とか相互理解と勘違いしてしまいます。これが問題の連鎖というやつ・・すべて無意識でのことですから、本人たちも理由はわかりません。
結局、あれほど嫌だった、昔の家族関係と同じ関係になってしまって、絶望するけれど、それがなぜだか自分でもわからない。だから相手が悪いんだという結論になって、対立やら支配やらで傷つきを繰り返すことになってしまいます。相手のせいで自分がどれだけ傷ついたか・・
この構造から脱出しない限りは、いつまでも、誤った認知やら行動を繰り返し、本当の解決にはなりません。そのために必要なのは、誰かのせい・・・ではなくて、自分はなぜ? と 自分と向き合う作業です。・・あの時・・つらかった・・寂しかった・・不安だった・・怖かった・・悲しかった・・あの時・・安心した・・嬉しかった・・楽しかった・・過去の体験と感情をひとつひとつ確認していくこと・・
その体験や感情を言葉にしたとき、誰かにしっかりと受け止めてもらえて、それでいいんだよ、と無条件の受容を体験した時に、やっと、防衛しなくてもいいんだ、私のままでいいんだと、無意識のプログラムが書き換えられます。
基本的にはこうした価値観で私のセラピーは成り立っていますが、そのためにはセラピストは、自分の価値観をクライアントに押し付けないことが必須条件です。人の情動は善悪でも正誤でもなく、混沌であり量子的ですから、価値観を押し付けて、意識をコントロールしようとしても無理があります。認知行動療法や教育・更生プログラムの限界でしょうか。
反社会的な行動を修正しなくていいのか・・という声が聞こえてきそうですが・・力で修正しようとしても無駄だ・・と言いたいわけです。そんな行動を学習させた社会を問題視することなしに、当事者に行動習性を求めても、事態は改善されないどころかさらに状況悪化になるかも。狡猾な加害者が生まれるのも、非道なテロリストが生まれるのも同じ現象。権威、権力、暴力、それが知識や正義という名を纏っていても、所詮支配する力です。
長くなりました・・・そういうわけで、私はいわゆる加害者にもいわゆる被害者にも、「正しいこと」を教えるつもりはありません。ただ、社会の仕組みやら、心のありようなどについて、多少は情報提供するけれど、それをどう解釈しどう利用するかは当事者の選択。
大切なのは、当事者が自分の体験や思いを語った時、それを誰かに受け止めてもらうこと、自分が理解できなかった考え方や、感情の動きなどを誰かの語りから理解し、自分の感情の動きと重ねること・・・これらの本来生育の中で体験すべきだったことを、今行うことで、自分を縛る心のフログラムからの解放が可能になります。
というわけで、どんなことでも語り合える分かり合える・・できるだけそんなことが可能になるようカウンセリングでもグループワークでも心がけているつもり・・・の思いが伝わっているのか、昨夜の大阪ワーク、スカ参加も合わせて17名の参加となりました。十人のDV男たちと七人の被害女性と・・・それぞれが自分を語り合った時に何が生まれるか・・世間の人たちには理解できないだろう・・化学変化というより量子変換のようなことがおこるから・・あら不思議。
一見、被害者だけ集めて・・安全が確保される・・なんて考えているうちは、ほんとは安全でもなんでもないの・・・このパラドックス・・わかんないだろねーセンセがたにはね。