昨夜は月一恒例のメンズクッキングでした。女は一人、男は七人の参加で、珍しく女の少ないクッキングでした。
メニューは親子丼、紅茶煮鶏、豆腐春巻、青菜のおかかあえ、味噌汁 白玉ぜんざいでした。
食後のおしゃべりも弾みましたが、家族解体中で一人暮らしの男たち、日頃簡単な料理はするけれど、煮物は作ったことがないという人たちばかり・・・。どうして作らなかったのか、尋ねてみれば、なんとなくだったり、作るのが大変だと思ってたり、難しくてできないものと思ってた・・とか・・・作ってみようとしたこともないとか・・。
私には不思議で不思議で・・・煮物は調理法としては簡単だと私は考えてたけれど、実祭の多くの男たちは、簡単かどうかも試すことなく、自分には作れない、あるいは自分は作らないものと認識しているようでした。たった七名の男たちだけれど、その多くがDV加害者だけれど、DV男特有なのか多くの男たちに共通するのかわからないけれど、少なくともメンズクッキングにくる男たちですら、そのような感覚でいることが、不思議に思えた昨夜の私。
で、今日、DV被害の女性と話してて、そんな話になった時に婚活サイトだかなんとかで、常識的に語られるのが「男は煮物で落とす」とか「肉じゃがで胃袋を掴め」とか。なんだ、煮物ができない男たちの裏側には、煮物でそんな男をモノにしようとする女たちがいるってこと・・・思わずうなづき納得した私です。クッキングに参加した男たち、どこまで意識してたかわかんないけれど、彼らには煮物を巡るジェンダーバイアスがあるってことと、そのことと、DVとどこかでリンクしていることに気づきました。
私は料理は自分が好きでやってるし、家族責任も稼いで家族を支えることではなくて、毎日の料理を提供することと理解しているので、煮物を作る女に落とされると言う男の心理にはとんと思い至らなかったけれど、煮物と引き換えに、家族の経済を支える責任を引き受けさせられる多くの男たち、その責任の重圧やら、自由にならない家族生活のはけ口に家族をパワーコントロールしようとする・・その挙句のDVとか家族解体だと理解することができました。
ほんと、まともに仕事ができない適応不全の私が家族を扶養することを拒否し、家族のために料理するという選択は、なんと理にかなった、適切な判断だったと、四十数年前の自分の判断に今さら喝采を送りたい私。おかげで、家族との関わりは今も変わりなく、続いています。
これからの男が幸せに暮らすには、仕事よりもサバイバルスキルが大切ってことでしょうか。変化する社会に対して適切な状況判断ができ、多様な選択肢から柔軟に最善を撰び取り、その中でうまく生き延びるための知識や対人スキルこそが、これからの世界を生き抜くには必要なのでしょう。
与えられた知識で指示された通りに動くこと、こんなマニュアル人間ではいずれ生活は破綻し、生きるのも困難になってしまいますし、そんな男を選んでも、縛られて人生を無駄にするしかなくなる女たち・・。
幸い、困難の渦中にあっても私につながり、自分の暮らしのための生活スキルを学びにくる男たち・・・きっと彼らは時代を先取りして幸せな未来を歩んでくれることでしょう。