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支援・援助論

はあー understandは難しい?・・・メンカン認証研修会

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今日はメンカン協会の認証研修会・・・と言っても、八名ほどのこじんまりとした集まりです。

それぞれの支援事例について学びを深める学習会ですが、支援というものがどういうものか、その難しさも語られます。

一般にカウンセリングなど、支援を受ける者と提供する者とは圧倒的な力の差ががあり、権力構造が伴います。ナラティブセラピーなどにおいてはこの権力構造はセラピーに不都合であるとして、セラピーに権力構造を持ち込まないということが前提とされます。セラピストとクライアントは対等であると。

とはいえ、社会に置けるそれぞれの立ち位置は、先生であり支援を受ける者であり、セラピーの場がいくら対等であるとしても、社会的な抑圧を受けコントロールされる者として病を抱えた来談者がいきなり立派なセンセであるセラピストと対等になれるはずはありません。いくらセラピストがその問題はあなたの中にあるモノではなく、あなたの外にある価値観がその問題を作り出していると言ったところで、その意味はなかなか理解されるものではありません。

という意味において、メンズカウンセリングは外在化を超えて社会化という概念でクライアントもセラピストも、ともに社会の抑圧を受けている当事者だとの立ち位置にあることを前提とします。具体的には、クライアントの困難が社会病理の症状であり、その症状を抱えるに至る人生や、あるいは困難の中で生き延びているクライアントに対する敬意、尊厳に触れ、クライアントから学ぼうとする態度でしょうか。そのためにはセラピストはunderstandの立ち位置で、クライアントの物語世界に入り込み、ともに物語を紡ぐ必要があります。

様々な知識や技法、これらは専門知としては必要ですが、あからさまに用いるのは危険でしょう。私流に表現するならそれらは雑談療法に紛らせて用いるということでしょうか。あくまで対話は雑談です。クライアントの何気ない日常の物語を聞くところからスタートし、その物語でセラピストが何を感じ、どう反応したかをクライアントに伝え、心地よいキャッチボールを続けていくなかで、新しい人生物語が始まります。それは、クライアントとセラピストの人生が交錯しこれからのそれぞれの物語がともに紡がれていくという物語です。

昨日までの私のカウンセリング実践は6600件以上になりました。男女ほぼ半々といったところ。主訴の半数以上が夫婦間葛藤に由来するもので、私はいろんな物語に触れてきました。多くの方の物語に関わりつつともに物語を紡いできました。他人事ではなく、どこか人生をともにしているという実感もあります。ですから、その方達の回復の姿は私には何よりの譽れであり喜びでもあります。この喜びは、セラピストとしては何ものにも変え難いもの。彼らに深く感謝し敬意を表したくもあります。さらにその物語が、新しい方に対するモデルとして提示すべき多くの選択肢を与えてくださいます。ありがたい話です。

研修会終了後のディナーです。ちなみにランチはカレーライス。

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