DVやモラハラ、デートDV等の暴力問題・家族を巡る不安や問題のためのカウンセリング・ワーク・シェルター等の複合的支援を行っています。

日本家族再生センター

カウンセリング日記

誰の問題か・・何が問題か・・・

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DVだのモラハラだの引きこもりだの、家族の問題に悩む人たちが、私のところに来られます。

夫が、妻が、息子が、親が・・・それぞれ、自分を困らせる家族の言動で、傷つき、悩み、苦しんでおられます。その多くは、いきなり私のところにきたのではなく、すでにいろんなところに相談したけれど・・・という方がほとんど。

医療だったり、司法だったり、警察だったり、女性相談だったり・・・助言を受けて相手に対してあれこれ働きかけても、結局、何も変わらず、解決もせず、困り果てて、こちらに来られます。早くこちらに繋がってれば、こじれなくて済むけれど、なかなか繋がらないのはきっと、私のことが少々胡散臭く感じられるのでしょうねえ、先日も電話するのをためらったという方もおられたし。

で、私は、来談者に助言するけれど、それは相手を変えようとしても変えられなかったのだから、自分を変えればいいのではないか、と。あなたはなぜ相手を変えようとするのか、なぜあなたは相手の言動で傷つくのか、相手の何があなたを苦しめるのか、あなたは相手に何を期待するのか、なぜ期待するのか・・などなど・・相手の問題ではなく、クライアント自身の問題について自己洞察を進めてもらいます。

そもそもカウンセリングというのは、相手や状況を変えるというより、自身の認知やトラウマに働きかけて、自身の悩みや不安、痛みや困難を終わらせる作業です。自身の問題に働きかけないで状況ばかりを問題視するのはカウンセリングとは言えないのではないかと思います。

DV被害者が自分の問題に向き合わず、自分は悪くない加害者が悪いのだから自分は何もする必要はない、と認識しているうちは、真の回復にも癒しにもならないのではないかと実感する私です。

DVの加害者が自分の感情に向き合わず、暴力は悪いことです、悪いことをした自分は間違ってました、と反省の弁を述べることで、問題解決したと思い込んだり、情動に蓋してしまうことで、巧妙な加害者になったり、善意の抑圧者になったりしては、真の脱暴力にはなりません。

DV問題は複雑です。加害被害の実際は主観的であり、客観的な判定は難しいのに、そもそも日本では加害被害を証拠によって判定する制度的仕組みがありません。

そんな中、DV支援を行う際、支援する側の価値観や思い込みで、当事者をコントロールすることで、当事者の抱える問題は解決するのか、加害者が脱暴力し、被害者が不安や恐怖から解放されるのか・・・私には疑問に思えます。

大河原昌夫はその著書の中で、私の著書から共感的な加害者支援の有効性を理解すると書くけれど、一方で当事者に対する醒めた視点も理解するとして、バンクロフトの主張も併記しています。

ランディー・バンクロフトは、その辺り、加害者は外圧でしか変わりえない、と言ってるらしいけれど、力で相手を変えようとする態度は、加害者が被害者を力で都合よくコントロールするのと大差なく思えて、私には支援としては茶番にしか思えません。

DV支援という時、何のために行うのか、誰のために行うのか、結果はどうなのか、支援者が自身の支援の実態について冷静に向き合わなければ、支援のための支援、単なる利権の一部にしかならないでしょう。

先日、お聞きしたある男性、著名な某系列のプログラムに二年ほど通ったけれど、何をやってるかよくわからず、結局夫婦問題も改善されないままそのプログラムをやめて、あらためて、私に支援を求めてこられました。

当事者が自分の情動を理解し受け入れるという作業なしに、加害者も被害者も問題解決は難しいだろうというのが私の確信です。さらに援助者もまた、知識や権威で当事者をコントロールする当事者でしかありません。

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