DVやモラハラ、デートDV等の暴力問題・家族を巡る不安や問題のためのカウンセリング・ワーク・シェルター等の複合的支援を行っています。

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価値観からの自由・・・・新しいセラピーの可能性

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私たちは言葉で概念を意味づけ、その概念即ち言葉で世界を構築しています。私たち一人一人も、その共有する概念で他者と関わり、自己概念も構築しています。

とはいうものの、その言葉や概念も生育の中で体験し、記憶したものでしかありません。もちろん、本やテレビ、インターネットなどの情報から学ぶこともあります、が、何れにしても、ここ百年ほどの近代的な価値観の範囲内のことでしかないでしょう。

とはいえ、国や文化によって、いろいろ違いがあるのも事実ですし、異文化に対して拒否的な感情になることもあるでしょうし、個々の家族にしてもそれぞれその内実は十人十色、全く同じということはないし、昔のように隣近所がみんな同じラフスタイルということもありません。

そして、結婚したらみんな幸せになれるみたいな家族ファンタジーでみんな一緒になるけれど、異文化同士の人間が関わりをもち家族を作っていくわけですから、問題が起こって当たり前。

問題が起こった時に、どちらが正しいか、とジャッジするのが司法の役目だし、ジャッジすることで問題解決すると思い込んでる人が多いのも事実です。けれど、人間関係は司法判断には馴染まず、本質的な問題解決には至りません。実利以外の愛着や信頼、依存や相互扶助の関係があるからです。

そのこじれた人間関係を修復していくための支援は残念ながらどこにも存在しません。どちらが悪いかではなく、何が問題か、問題を終わらせるにはどうすればいいのか、その辺りを進めていくには、善悪や正誤の判断はなじみません。それぞれの価値観やそれにリンクする情動は、論理や倫理で動いているわけではないのですから。それぞれの生育における体験やその感情・記憶に基づいているのですから。

というわけで、常識やモラルに縛られたセラピーではなく、常識を超えた体験をそのまま受け入れ、ともに新たな物語を紡ぐのが私なりのセラピーのあり方です。その物語・・時には常識を逸脱していたり、時には違法行為を語り合ったりもするわけですから、セラピストにしてみればハイリスクです。

そして、そんな人生物語を多く紡いできた私にとってみれば、むしろ常識とか当たり前とか、多くの人が是とする価値観こそ、多くの病理を抱えた問題の根源のように思えてなりません。医療も司法も行政もそしてアカデミズムも、そんな病理社会を構成する、問題の一部にしか過ぎないのです。

というわけで、昨夜は月一恒例のグルメナイト。DVやモラハラのいわゆる加害者・被害者、その子供達が集まり、酒を飲み、語り明かす・・・世間ではありえない空間だけれど・・・参加者はグループワークやカウンセリグを受けておられる方に限らせていただいています。ワークやカウンセリングのアドバンス的で実践的なトレーニングの場として設定しています。ですので、世間で危惧するようなトラブルはこれまで起こっていません。

昨夜も大人十三人、こども四人の集まりとなりました。語りはおバカで破廉恥、顰蹙ものですが、建前やうわべの話ではなく、本音で語り合うことで、相互理解や自己洞察も進みます。世間では語れない語りにこそ、癒しと回復の可能性があるのです。

でもねえ、こんな場って、世間の支援者には想像もできないだろうし、こんな場を作ることもできないでしょう。当事者と平場で関わり、権威や知識で当事者をコントロールしない、なんて立派なセンセにはできないよねえ。

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