支援・援助論

殺したくなるんよねぇ・・・・裁判所で・・

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昨日はまた痛ましい事件が起こりました。東京の家裁前で離婚調停中の妻が夫に刺し殺されると言う事件です。夫はアメリカ国籍で、自身も手首に切り傷を負ってるとのことだけしかわかりません。

世間の世論は、またDVでとんでもない事件を起こした・・こんなやつを野放しにしてるからだ・・警察も裁判所ももっとしっかりしろ、離婚に関しては妻の危険性を考慮し、夫に対する警戒を強めろ・・罰則も強くしろ・・なとどという論調が強化されるのが目に見えます。やれやれ・・

今まで、離婚を含め係争中のいろんな方の支援を続けてきましたが、かなりの方が裁判所や相手方弁護士に対して、憎悪や不信感を持っています。タンクローリーで突っ込んで家裁を爆発させたいと言ってた方もいるし、関係した裁判所職員やら弁護士を一人ずつ家族もろとも殺したい、と話す人もおられました。そこまでの憎悪をたぎらせる人は決して稀ではないし、その方たちが特に凶暴な方、悪人というわけではありません。ごくまじめな理屈のわかる人たちばかりです。

ただ、今回の事件のように妻に殺意を抱く方はさほど多くはありません。が、多かれ少なかれ妻に対する不信感・憎悪もかなりのものと言っても言い過ぎではない方も少なくないでしょう。なぜこうなるのでしょう。

もともと司法は応報的な価値観でできていて、悪いのは誰か、どの程度の悪いことか、悪いことをしたらそれなりの処罰がある、ということを権力が判断するシステムだと私は理解しています。要するに社会秩序の維持を目的としています。それはそれで必要な機能と思うけれど、それが社会的に有意であったり、暴走することのないように、罪刑法定主義とか、証拠主義、疑わしきは被告人の利益に・・などの縛りやら理念があります。

けれど、私の思うに、この理念を逸脱した司法判断が昔から横行していて、客観的な証拠もなく強要された自白で厳しい判決を出して、以後の鑑定で冤罪が証明されるという事件が後をたちません。先日も12年間服役した女性の再審請求が認められました。今も昔も司法に正義はない・・というのが私の判断です。

そんな司法の有り様に対して、現場で当事者は何を感じ何を考えるか・・そのあたりしっかりききつづけてきた私にはよくわかります。その結果の家裁爆破です。悪人だからではなく、むしろ正義感があるからそういう判断に行きつくのでしょう。

折しも昨日は地下鉄サリン事件から24年の日でした。政府は昨年関連死刑囚の全員を死刑執行しました。なぜオウムが生まれたか、なぜ事件を起こしたか、どうすれば社会に意味づけることができるのか、そのあたり、当事者との対話を重ねるしかありません。実祭井上死刑囚は、償いのためにできることを考えていたし、生きていればオウムの洗脳から信者を救い出して、オウム壊滅に寄与できたかもしれません。なのにねぇ・・政府は臭いものに蓋をしただけで、問題の根は残したままの幕引きにしました。いずれ問題は別の形で現れるでしょう。麻原を殉教者にしてしまったのだから。

これはDVや虐待も同じこと、証拠も合わせた自分の意見はことごとく無視され、捏造した相手の言い分だけでことが進められ理不尽な判決が出されたら、そりゃ、怒りにもなるし、家族を失ったりすれば殺意が高ずるのも人の感情としては当然です。そうならないように、司法は公正中立であるべきなのです。その原則を投げ捨てた司法だからこそ事件が起こる、と言っても言い過ぎではないような気がする私です。

厳罰化が進行中の司法判断・世論ですが、それは結局、問題の所在を曖昧にし、問題の発生予防にならないどころか、問題発生を促進し、問題に関わる支援者の利権を増やしてしまう結果になってしまうでしょう。残念なことです。今回は家裁前の事件だったけれど、いつか家裁の内部での激しい暴力が起こることを危惧する私。法曹関係者の方たちも安心して眠れなくなる日がくるとしたら、それは当事者の問題ではなく、法曹の問題だってことは自覚してほしいなー。

 

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