支援・援助論

理屈じゃないんよね・・・心って

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心ってむつかしい。フロイトは心を意識化できてる部分と無意識の部分とがあり、無意識の部分は野生のようなイドと倫理的な超自我とそれぞれに挟まれて葛藤する自我とでできていると仮定しました。

心の無意識の部分は、自分の考え(意識)とはまた別物です。意識している通りに心が動くわけでもありません。かといって、コントロールが一切不能というものでもなく、暴走しないようになんとか意識が行動をコントロールしバランスを保っている・・そんな難儀なものが心の正体・・と言えなくもありません。フロイト的に考えれば・・。

知識とか記憶とか思考とか意識部分は見えやすいし、本人も理解できています。人はどうあるべきか、何が正しいか、行動規範はどんなものか・・などなど、テストで確認することも可能かもしれません。

けれど、この意識の下にある無意識は、しばしば本人の意識とは違った動きをしています。イドの働きと言えなくもありません。つい出来心でとか、うっかりとか、しかたなくとか、言い訳しなくてはならないことを人はやってしまいます。

その言い訳を考えるのが意識でしょうか、それが、屁理屈とか、言い逃れとか、正当化とか、転嫁とか言われることで、意識は無意識の行いを正当化するために働きます。

この辺りを理解してないと、カウンセリングもうまくいきません。認知行動療法も、意識部分に働きかけるには手っ取り早く有効性も出やすいようですが、無意識部分・・・情動に関するアブローチとしては弱いように感じる私です。

その情動は生物として遺伝的に組み込まれている仕組みによるものと生育の中で体験することで組みあがっていくものとが複雑に絡み合って出来上がる心理プログラムで、一人一人異なっているでしょうし、必ずしも合理的でもないし定型的でもない、強いて言えば量子的と言ってもいいと思います。

それは生物が進化している「環境」は合理的でも定型的でもないので、環境の変化に適応するために生物は多様で柔軟な進化戦略を持っています。その進化の力を内包して私たちの心もあるのでしょうか。

その情動が行動につながるのですが、その有りようを感情として私たちは概念し、言語化しています。不安、怒り、悲しみ、恐怖、安堵、共感、嫌悪、愛着、依存、喜び、楽しみ、憎しみ、絶望、希望、諦念、寂寥、孤独、虚無、焦燥、優越、嫉妬、殺意、慈しみ・・などなど。

一人一人の生き方、行動のありようは、この情動が大きな役割を果たしていますが、その結果、素敵な人間関係を作る人もいれば、DVで愛すべき人を傷つけてしまう人もいる。意識部分ではどちらも善良な自分を理解し、それなりに人に評価されるパーソナリティーを演じていても・・結果は全く違ってしまう。情動のありようが違うのです。

先日もそんなお話を聞かせていただきました。「なんで、あんなバカなことをしてしまったんだろう、絶対にやらないって自分にもパートナーにも固く誓ったのに・・自分でも自分がわからなくなった」と。私に言わせればよくある話。だから反省は無駄、無意味、と私は常々語ります。

往々にして加害者本人も自分でもなぜそうしたのかわからないから、相手が怒らせたから、と転嫁して納得しようとします。けれど相手にしたらたまったもんではありません。勝手に切れて勝手にDVやってて、お前のせいだ、怒らせたお前が悪い、なんて言われたら、やってられません、こんな相手とは、一緒に暮らせないと考えるのも当たり前といえば当たり前。

被害者がそう判断するとき、その理由付けにするのがなんでそんな酷いことをするのか、それはDV男だからだ、DV男はなおらない、別れるしかない、となって別れる、逃げる、という行動に出るのだけれど、別れる、逃げるという判断をしたのは、自分がそうしたいからそうしたのであって、それは恐怖心や絶望、怒りなどの感情がそういう判断をさせているからでしょう。その結果が必ずしもいい結果にならなかったとしても、それを引き受けなくてはなりません。

そんなとき、その判断を正当化するためにも、DVはなおらない、という言説にすがるしかない、という気持ちもわからないではないし、そんな人は「DVはなおる」という言説で、自分を否定されたような認識になり、勝手に傷つくのでしょうか。レビューに、唾棄すべき著書、読むに値しない本、とのコメントをくださった方もおられます。自分が怖いから逃げた、それでいいのです、他に理由は不要です。DVがなおろうがなおるまいが。

何れにしても、DVやモラハラの当事者(加害・被害)のそういう言動は悪意とか無知とかによるものではなく、その人の無意識や体験が影響する情動が原因していると私は理解しています。ですから、意識領域に働きかける、教育とか更生とか、認知療法とか、では限界があるということ、有効性はしれているということです。

その無意識領域、情動の部分にフォーカスしてプログラムするのがメンズカウンセリングです。教育的でもなく、治療的でもなく、更生の姿とは反する態度を是とするメンズカウンセリング・・・こんなんで脱暴力するの?  するのです・・時間と手間をかけることができたらね・・・・なぜなら、子供のころから成長をとめた幼い心をそだてなおすのだもの・・ね。

シェルターから出勤の彼、シェルターに帰れば待ってたのは塩サバだし巻き定食でした。

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