DVやモラハラ、デートDV等の暴力問題・家族を巡る不安や問題のためのカウンセリング・ワーク・シェルター等の複合的支援を行っています。

日本家族再生センター

支援・援助論

心と体を取り戻せ男たち・・・加害者とは誰のことか

投稿日:

ここ最近のクライアントとの語りの中で、女性の身体状況と感情の同期性について聞くことが重なりました。月経近くになるとイライラするとか、妻が周期的に暴力的になるとか、妊娠したら途端に性格が変わったとか・・女性自身が語ることも少なくないし、夫がそんな妻の様子を語ることも少なくありません。

女性自身は自分の生理的な状況と心理が連動していることはうすうす感じてたりしっかり実感していたりする方が多いのですが、男性はそんな身体的な変化を感じることがないので、女性のこんな状況も理解不能で、共感も難しいようです。

合理性では割り切れない身体や感情のありようを実感している女性と合理的理解をしやすい一定の身体状況の男性と、思考も価値観も異なって当たり前だけれど、それぞれの差異を前提に相互理解できる社会なのか、そもそも異性を理解不要・不能な存在として、ステロタイプな価値観に押し込めてしまう社会なのか、一人一人の生き方も家族の有り様も大きく異なるでしょう。

昔々、私がとある助産院に関わっていた頃「すけやみ」という言葉を聞いたことがあるけれど、・・それは妻の妊娠に伴い夫が想像妊娠してつわりの症状を呈することのようでした。ウィキで検索すると・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

男のつわり(おとこのつわり、男性のつわり)とは、妻が妊娠すると夫の身体の調子が悪くなることをいう。福島県では「トモクセ」、岩手県沿岸地方では「男のクセヤミ」といい、ひどい人は妊婦と同じく汗をかいて衰弱し、嘔吐をもよおしたりもするが妻の出産が終わると治る。「病んで助けられるのはクセヤミばかり」という民俗語彙もある。岩手県岩手郡では「クセヤマイ」、長野県下伊那郡地方では「アクソノトモヤミ(悪疽の共病み)」、奈良県高市郡地方では「アイボノツワリ」と呼ぶところがある。未開社会では、妻が妊娠すると男性が産褥(出産用の寝床)につく真似をする風習をともなう地域があり、couvade(擬娩、擬産)と呼称される。

医学的には、男性が妊婦マタニティ・ブルーと同じような症状、すなわち嗜好の変化、吐き気めまい頭痛食欲不振、体重の変化、感情の変化、睡眠時間の変化などを総称してクーヴァード症候群(couvade syndrome)と呼ぶことがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じ頃、産婆120年記念のテレカもいただきました。そこには江戸期の庶民の出産風景が描かれていて、たすきをかけた夫と出産を終えた妻と産まれた子供を沐浴させている産婆の姿があり、当時の出産状況が描かれています。この風景が普遍的なものとは思わないけれど、こういう風景があったということも事実でしょう。

妊娠、出産、育児に男は関係ないと考えるのは、明治以降の合理的な文化の中で教えられた価値観なのかもしれません。それは、男が自身の身体感覚を抑圧して、合理的に身体を操作すること(体操)が何より国家の近代化に必要だったという政策的な動きによるものと思います。資本形成、軍隊の組織化、のためには男の合理的な動きが不可欠です。そして男の合理化を支えるために家事育児はすべて女の仕事で男は関わるべきではないとの価値観の普及です。

性別分業を前提とした家族形態・労働形態を是とし、性をめぐる多様性や非合理な労働・家族意識は不道徳・違法行為として社会から排除されてしまいます。この近代合理主義の中で智の権力が政治経済の権力と一体化し新たな文化意識が形成されたのでしょう。

一人一人の人権とか多様性とか自由、平等を説くのは大切だし、それを阻害する暴力を否定するのも大切です。けれど、その暴力がどこから来ているかに言及しないで、暴力やめろというのは御門違いというもの。暴力やめないと殴るぞ、みたいな論理矛盾に至ります。暴力は決して身体的なものだけではありません。知識で相手を貶め傷つけるのも暴力です。

国家の合理的運営のために国民の人間性を抑圧することを是とする価値観で近代家族・近代社会が構築されたとして、そこで抑圧を受ける個々の人間が様々に病理症状を呈するのはごく自然なことで、病理症状をなくすべきものとするより、病因を取り除いて症状がなくなることを目指すべき、と私は考えるけれど・・・

となると、DVや虐待を行う者の認知や行動を修正すべきと考える者の認知こそ病理であって、加害者臨床という言葉を用いる者の加害者性こそ問われるべき・・と私は考えるんですよねぇ。レインの「精神病は存在しない」だつたか、そんな価値観に通じる考え方をしている私です。

そんな私の支援で、DVや虐待がなおるのか・・なおるのです・・と私は断言しましょう。生育の中で学んだ合理的判断や価値観から解放されて、身体や感情にフォーカスして、自分の存在をこれまで学んだ智の檻から解放させることで、あらたな自分、あらたな自己概念を構築できるのですから。もちろん、全員が100%と言うつもりもありません。一定の確率でと言い添えておきますが。

でもねぇ、こんな意見・・だれも理解できないんよねえ・・・当事者にはよく分かる話なんだろうけれど・・(笑)

ブログランキング参加しました。読んで良かったら、ぽちっしてね♫
にほんブログ村 家族ブログへ

-支援・援助論
-, , , ,

Copyright© 日本家族再生センター , 2024 AllRights Reserved.