私のお聴きするクライアントの主訴は半数以上が夫婦関係(DVを含む)ですが、中には調停中とか訴訟中とかの渦中にある方のお話を聞くことも少なくありません。
日本の司法制度では離婚に関してはいきなり訴訟にすることはできず、調停前置主義と言って必ず調停を経なければ離婚訴訟を提訴することはできません。この制度、いきなり訴訟で争うのではなく、対話を重ねることで本人同士が問題解決を図ることを目的としていて、本人同士では対話も難しいだろうということで、調停員を介してという形になります。
たしかに、その趣旨は立派だし、調停がその趣旨の通り機能していればいいけれど、残念ながら、趣旨が生かせてるとは思えない現実があります。
私が多くの当事者のお話を聞かせてもらって感じるのは、調停員の能力不足です。調停員は特に心理やら福祉、など家族問題に関する専門の知識を持っている人ではありません。有識者と言われる人を裁判所が任意に選んで依頼しています。
どちらかというと、立派な肩書きを持っている方が多く、当事者性は期待できません。そんな方たち、裁判官には従順で当事者には傲慢な態度を無意識にとってしまう方が多いようです。勢い、裁判官の都合を当事者に押し付けてしまいがち。
さらに、調停を訴訟の前哨戦と捉える弁護士が調停の段階から介入することが多くなり、修復的な対話にならず、相手の弱みを叩くことで得られる依頼人の経済的利益、それだけで話が進められて、お金は動くけれど、家族関係は大きく傷ついて終わることになってしまいがち。
本来調停の機能に必要なのは、もめてる夫婦の誤解や葛藤を解き相互信頼を深めることで妥協点を見出す修復的アプローチです。けれど弁護士はもめてる夫婦が対話で仲良くなったら、お金は取れないから、仲良くなる方向で調停を進めることはありません。そう、修復的な働きは期待できません。
そんなこんなで、調停を立てたいけれどとか、調停を立てられたとかいう方に私は、調停の趣旨や現実について、お話しさせてもらうし、回避できるなら調停は起こさないよう助言もし、傷ついて相互不信に陥ってる当事者のケアや修復的な支援を行います。
最近も、何組かモラハラ・DVなどで別居、引き離しとなった夫婦の支援を行い、やっと面会がスタートできたけれど、相互信頼にはまだまだ支援が必要で、何度もメールやカウンセリングでの対話の仲介作業が続いています。
その修復的支援に必要な視点は法的問題やお金の問題ではなく感情や認知、社会病理の視点です。裁判官も弁護士も調停員も、みなさんえらいセンセばかりで、当事者の気持ちや、社会の抑圧構造についてはまったくの素人。解決できるわけないよねえ。
調停を立てるかどうするかお悩みの方、裁判所や弁護士事務所に行く前に、まず私のブログを読んで、納得できたらご連絡くださいねー。その前にアマゾンで「DVはなおる 続」をポチッとしてくださいねー。弁護士の相談料よりよほど安いし、はるかに勉強できますし。