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絵本の意味・・・・物語は比喩でこそ

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フロイトは、私たちを動かしているのは無意識に潜む野生の心だと喝破しました。ただ、人はそれに思考とか理性とかいう脳機能を獲得しているので、野生のまま生きる動物とは異なる行動をとるのも事実と。その両者のせめぎ合いが葛藤する自我を生み出すと考えました。

悪いこととわかっててやめられないとか、ついつい出来心で、とか、気がついたら・・などなど、DVや虐待なども含め、わかっててもやめられないのが人の問題行動。こんな行為を悪いことだからやめなさいというのはナンセンス。そんなことはわかってるのだから。

やって悪いことだとしたら、どうしてそうしてしまうのか、それを止める方法はどんな方法か、それを教えなければ、問題行動は終わりません。

今朝の新聞報道でも東京都が「虐待防止条例」案をまとめたとか。虐待を法律で禁止して、事件が減るとも思わないし、逆に言えば、先日も書いたけれど、養育環境がよくなれば自然に虐待は減る、ということも書きました。

むしろ、虐待防止の掛け声で、無意味で人権侵害の強い親子分離が進み、児相利権が強化されるだけになりかねない・・・これが私の心配するところ。DV法も同じことが起こりました。

真実を知らない世間の人達は、感情に流されて誤った判断をさせられているように思うけれど、そのことに気づくのは当事者になってから。その時はすでに時遅し。家族が崩壊してしまった後になって、なんでこうなるのかと怒りにとらわれるけれど、それは自分たちの人権を守るために真実を知ろうとしなかった・・そのツケと言えなくも無い。

では、問題行動を終わらせるにはどうすればいいのか・・・問題行動がなぜ起こるのか、それぞれの価値観やら行動様式の学び直しが必要だけれど、そのためには古い学びを消去し、新しい価値観や行動様式をダウンロードしなくてはなりません。

ここで難しいのが、内面化した無意識の世界の書き換えです。知識だけなら書き換えは難しくありません。認知行動療法というやつです。けれど、生まれて以降の記憶にも残らない過去の体験からくる学習については知識レベルの学びなおし(アンラーン)では難しい。記憶にも残らない情動レベルの学習なのだから。

私がセラピーで用いるのは、身体感覚からくる実感と、それに近い心の世界の体験です。無意識を正しい理屈でさらに抑圧するのではなく、無意識を意識化しつつ、自身の身体感覚やら他者との安心や安全の関係からくる心地いい感覚の獲得です。

けれど、その作業は世間で正しいとされる価値観から導かれる行動とは矛盾するから、なかなか、正しくあるべきと学習した人達にはには理解できません。加害者に甘いとか、加害者の加害性を承認しているとか・・・。

けれど、正しく教育しても、糾弾しても、加害者は変わらないどころか、余計に狡猾な加害者になったり、被害をより拡大するのがオチ。・・・なんだけれど、世間は脱暴力が目的というより、自身の報復感情やら正義感やらを満たす意味でしかありませんから、それはそれで、世間はいいんでしょうけれどね。

そうそう、今日書きたかったことはそこではなくて、情動部分を変化させて行動変容につなげる方法についてでした。正しい理屈を教えるのが無駄だとして、無意識に染み付いてる基本的なOSをフォーマットし、新しいOSをインストールする作業です。

その作業に有効なのが、身体感覚・・・ここちいいとか、楽しい、気持ちいいという条件設定を取り込むということ。赤ちゃんから子供の頃にそれらの感覚が他者との関わりの中で獲得されてない方は、大人になってそれを言葉で説明されても他者や世界との良好な関係を理解できません。日本語しか知らない人がいくら英語で説明されても理解不能なのに似ています。

けれど、食べたり遊んだりすることは可能だし、非言語の関わりの中で他者を理解できるようになります。ナラティブやオープンダイアローグの限界を超えるには、言語をともなわない情動の部分でのアプローチが不可欠。私が非常識なことをあえてセラピーに持ち込むのはそういうこと。でもねぇ、言葉で学ぶことしか知らない専門家のセンセ方にはなかなか、理解するのは難しいんじゃ無いかな・・おバカで変態な語りなんてね。

ということで、昨夜の女と男の非暴力トレーニング、スカイプ参加を含め八人ほどの集まりになったれけれど、近況報告の後は、本のさわりの朗読から・・・

チーズはどこに消えた・・というこの本、チーズをめぐるネズミたちと小人たちの行動の違いを読み進めることで、思考と行動の意味について俯瞰することができます。

出てくる要素は二匹のネズミ、二人の小人、あとはチーズと迷路、だけです。小賢しい人間関係とか多様な状況は一切ありません。その中で展開されるネズミと小人の行動の動機やら、その結果について、とてもわかりやすく理解できます。

ネズミたちは、、チーズがなくなることに備えてあちこち探索して選択肢を探してるけれど、日常に慣れすぎた小人はチーズがなくなることには思い至らず、ある日突然チーズも無い、ネズミたちもいない、という現実の前で怒り、悩み、消耗していきます。なぜそうなったのかもその時は理解できませんし、新しい迷路に出て行くのも不安だし探索する勇気もなくなってしまいます。

こんなことを私が語るうちに、ワークに参加した男性は・・・ああ自分と同じだと思い至ります。単純な物語、分かりやすい比喩なので、受け入れ可能なんだろうと思います。

これは子供に絵本の読み聞かせをするのも同じ効果に基づいているのかもしれません。ストーリーは単純だったり荒唐無稽でも、感情はちゃんと反応していきますから。

この世界は自分を受け入れてくれているとか、自分はこの世界を変えることができるとか、自分のことは自分できめられるということとか・・・・etc

そうした、原初的な感覚について自己と世界の関係の再統合が行われ、自己肯定感や自己信頼の力がつき、他者に対する防衛的な感情から解放され、暴力的なコントロールを必要としなくなります。

暴力は犯罪です、DVは家族を傷つけます、虐待は子供を苦しめます・・など幾ら大声で言い募ったところで、当事者の心には届きませんし、問題行動は変わりません。

でもねぇ・・・私の語ることって、なかなか理解されないんよねえ・・他人事やら正義感で当事者を叩きたい人にはねえ。当事者にはすんなりと伝わることなのにね。

そうそう、昨日は三週間ぶりのトレーニング、疎水コースはなんと三ヶ月ぶり。疎水は紅葉の見頃でした。

 

 

 

 

 

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