支援・援助論

オールタナティブストーリー・・・常識を捨てたセラピー

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ナラティブセラピーの基本は、問題の外在化であり、クライアントがとらわれてるドミナントストーリー(当たり前)からの解放、と言えなくもありません。

私たちの個々の命は、何万年という人類の歴史以前の数億年というDNAに刻まれた歴史の産物でもあり、その情報によって構成される身体と、出生以来あれこれ体験することで学習する無意識領域を含めた情報の蓄積とその処理システムから成り立っているとも言えるのかも。何れにしても、それは一人一人全て異なるもので、どれが正解でもありません。ただ、それぞれの生存戦略もその生存可能性も異なるというもの。

そんな私たち人類が生き延びていくための戦略として家族化や社会化があるけれど、それもまた、どれが正解でもなく、家族形態の変遷や文化や社会の興亡があるだけでしょう。そしていま、人類史という意味では大きな転換点に来ているのかもしれません。

全地球が一つの価値観やシステムで動いているという事実です。地球から未開はなくなり、資源も環境負荷の限界も見えてきています。そのキーワードは経済=マネーを使った人々の支配構造です。

どこまで信じるかはあなた次第だけれど・・

その支配は、人々の意識や価値観にも及びます。生産性、合理性、常識、正義・・などなど。それらにそぐわないものは全て、不合理、無知、悪意、怠惰、異常、狂気、として、排除されなきものにされてしまいます。ひどい場合は塀の中、檻の中、戦争や飢餓で命を奪われてしまいます。時には何万・何十万の人たちが・・。

私の関わる一人一人の当事者もまたその中の一人かもしれません。自らを病んでいると認識させられ、自責する日々は過酷です。他者に理解されない、受け入れられないという現実は、人としての生存を危うくしてしまいます。それはナラティブで言うところのドミナントストーリーでしょうか。

それに対して、私が語るのはオールタナティブストーリー・・その他の物語です。それは社会の有り様とは全く異なる、異常な、変態な、理解不能な物語かもしれません。が、本人がその物語を自分の物語として主体的に語り始めたときに回復が始まるのです。私は同性愛者だ、私は障害者だ、私は依存症者だ・・・etc

語れないうちは、問題を隠蔽し、葛藤の中でドミナントな物語に合わせて生きるしかありません。それがまた問題の先送りにしかならず・・拡大連鎖し、それはあらたな病理化や事件化にいたってしまいます。

自らの真実の物語を紡ぐことで、新たな人生として書き換えることが可能になるけれど、それはなかなか難しい・・一人のモノローグでは過去の物語の繰り返しになるし、理解も共感もない相手とは、ドミナントな物語を紡ぐこともできません。

どんな相手とも・・どんな非常識な物語にも怯むことなく、共に物語を紡げるセラピスト・・・いないんよねぇ。

 

 

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