今日は一日、メンズカウンセリング認証研修会でした。世間でいう、事例検討会と言う学びの場です。
会員が援助実践を持ち寄る事で、リスクを一人背負いこんだり、不適切な支援にならないようにスキルや知識を分かち合ったり・・・なにより、メンズカウンセリングという、世間の価値観から程遠い援助論で援助するカウンセラーが孤立する事のないよう、価値観や思いをシェアしてエンパワーする場でもあります。
そのスタンスは、世間の差別抑圧構造の中で孤立したクライアントに寄り添う、当事者主義の支援とリンクしています。
権力構造を内在化しながらもその事に無自覚な援助者が、クライアントをセラピーの中でコントロールし、病理を深めていく、という世間のセラピーの限界を超えるのがメンズカウンセリングですが、それだけ援助としては稀有で困難な援助論と言えなくもありません。
世間ではカウンセラーとか相談員とか、心の支援者が山といるでしょうけれど、それらはすべからく世間の権力構造と何らかの接点があり、セラピーに権力構造を持ち込まないという平等の理念とは程遠いセラピーを行っていることでしょう。
それは資格とか権威とかを形作るアカデミズムや行政権力がセラピーを定義づけるからと言えなくもないし、その権力構造の上位者がクライアントという下位者をセラピーする事その構造を否定するメンズカウンセリングの立場では、権威に従属する事もありえないし、権威を信奉する事もありえません。もちろん、知識やスキルを否定する訳ではありません。
クライアントの体験知もセラピストの専門知もともにセラピーには大切で、どちらが上でもありません。また権威者が正しく、資格や専門知の薄い者が間違いでもありません。
この概念はとても大切で、セラピストはクライアントの体験や人生に学び、クライアントの抱える困難を共に乗り越えていく、回復の物語の共著者とも言えるでしょう。この概念を理解しえないセラピストは、自身の価値観や援助論での回復を目指し、クライアントをコントロールしてしまいます。
ここに二次被害や回復不能という現象が起こります。けれど、セラピストは自身の問題には無自覚だから、問題をクライアントに転嫁し、病理だの抵抗だの解離だのと言う言葉で、自身のセラピストの立場を防衛します。無自覚に、無意識裡に。
セラピーが進まない、有効性がない、そんな時はクライアントの問題ではなくセラピストの問題、あるいは相性の問題と考えるべきでしょう。けれど、世間では、センセの言う事は聞いても、クライアントの言う事は信じないのが普通です。
今日もいろんな講座のチラシなどを見ましたが、あのセンセ、このセンセ、セラピストとしても、脱暴力支援としての支援者としての力もないのに、センセの肩書きがあるだけで、立派な仕事をしてるかのごとくに登壇する姿・・まあ、お恥ずかしい・・と感じるのは私だけ・・・でしようねぇ。そのセンセ方の実際の姿を個人的にも知ってますからねえ。
ああ、日本のDV支援、男も女も救われそうにありませんねえ。その問題は当事者にあるのではなく、セラピストにあるんよね。
研修後の晩御飯、カレーチャーハン、チキンカツ定食
一週前倒しのバースデープレゼントは、キャロライナ・リーパーなる世界一辛い唐辛子・・。ジョロキアで鍛えた私には、美味しい刺激物。感謝です。