DVやモラハラ、デートDV等の暴力問題・家族を巡る不安や問題のためのカウンセリング・ワーク・シェルター等の複合的支援を行っています。

日本家族再生センター

日常

自由を知らない子供たち?

投稿日:

最近の子供たち見てて、つくづく可哀想に思うのは私だけ? もちろん当の子供たちはそんなことは感じてないんだろうから、私の傲慢さと言えなくもないけれど・・

可哀想という言葉が他人事のようなら、胸痛むと言ってもいいのかな。小さな枠の中に押し込められて、いたぶられているように感じられてね。

勉強、成績、正しい暮らし、悪いこともせず、親やセンセの言うことを聞いて・・やりたいこともやれず、バカなこともできず、バーチャルな世界に逃避するしか、自分のメンタルを保つ術もない・・。

勉強とか、部活でそれなりの成績を出せてたら、それなりの評価も得られて、安心もできるだろうけれど・・・頭も悪く、身体能力も劣ってたら、その安心もなく、日々不安と劣等意識に苛まれる。

そんなネガティブな心はネガティブな行動で安定を得ようとするし、様々な問題行動で自分を支えるしかなくなります。

翻って私自身の子供のころ、学校では劣等感を刷り込まれていったけれど、心のどこかでは自己肯定感はあって、自己否定はしませんでした。

両親の受容的な態度もありましたし、何より、自由に暮らしてたから、自己決定は当たり前だったように思います。勉強するとかしないとか、どこで誰と何するか・・・こどもなりに自由に暮らしてたし、問題は起こりませんでした。

現代ではありえないことでしょうけれど、私は小学三年生の時には毎朝新聞配達して、一月300円ほどのバイト代を小遣いにしてました。冬の寒い日も雨の日も、毎朝自分で起きて40軒ほどの新聞を配り、月に一度はその講読料も集金してたように記憶しています。小三ですよ(笑)

あるとき友達の浜田くんが、自分も新聞配達したいというので、見習いで数日教えました。そのあと実習として明日は一人で配達してみたら、ということで、浜田君に任せた朝、私がのんびりしてたら、新聞屋のおばちゃんが来て、新聞配らなダメじゃないか・・と。ええっ浜田君が配ったんちゃうの・・と私はびっくら・・・。あの時の光景は半世紀たっても鮮明に覚えています。

それほどに、当時の私は子供と言えど、社会的な責任を理解し全うしてたと自負するし、あの体験が私の人生にマイナスだったとは思えません。新聞配達で小遣いを得ていたのが可哀想だとも惨めだとも思いません。自分の自己効力感やプライドも養えたのだろうと思います。勉強もスポーツもさっぱりでも、それなりに仕事できる自分を実感できてたんだから。

今の子供達・・遊ぶ時間も空間もないし何より、自分の行為は自分で決めたらいいと言うことすらわからないのではないか・・親に支配され、常識の狭い枠の中で生きるか、自分の世界に閉じこもるか、完全にドロップアウトしてしまうか・・・何れにしても、自己決定自己責任とは無縁の生き方。

そんな子供たちはやがて不安と依存の神経回路だけで動く大人になってしまいます。心が育ちきらず大きな穴ポコを抱えたそんな大人たち・・問題起こるよね。

そんな大人たちがまた子供達をさらに小さな枠の中で育てようとし、問題は連鎖していきます。

大人たちに私が言いたいこと・・・子供のことはほっといて自分の人生を見直したほうがいいんじゃないかい? 親が幸せを感じてないのに、子供は未来に希望を持てるはずないでしょ。とりあえず、説教やめて、いますぐ子供達を自由にしてあげてくださいな。もちろん少しずつだけど。

 

 

ブログランキング参加しました。読んで良かったら、ぽちっしてね♫
にほんブログ村 家族ブログへ

-日常

Copyright© 日本家族再生センター , 2024 AllRights Reserved.