https://www.youtube.com/watch?v=uIhMsUPZn5k
そんなこととはつゆ知らず、事件報道を見てましたが、詳しいことはわからなくても、妻子にDVで逃げられ、裁判所はまともに審理もせず、加害者として多額の金をむしり取ったと訴えているらしいことはわかりましたし、その結果の爆死に対しては、共感する気持ちもありました。
実際、彼以外にも裁判所に理不尽な判決を食らって納得できない、というクライアントは少なくありませんし、私自身も織田某という若い女性裁判官に(冤罪)セクハラの(民事)判決をくらってますから、裁判所がデタラメだということはだれよりもよく理解できています。
そんな私は栗原さんの行為を批判する気持ちにはなれません。法治国家というのは公正で中立、証拠主義に基づいた法律が善悪の判断基準であるはずです。
その前提が崩れて、法律が正義を投げ捨てて一部の人の利権に寄与したり、権力や世間の求めるイメージにおもねるようでは、裁かれる者はたまったものではありません。国が正義を捨てたら国民も正義を捨てるのは当然のこと。第二第三の栗原さんが現れるだけでしょう。
そういえば、やはり自衛官で私のクライアントだった方は裁判所を爆破して判事や弁護士を道連れにしてやる、と息巻いてました。私がその方法を尋ねると、それなりのやり方を教えてくれて、なるほどーと感心したのを覚えています。もちろんその方は私の支援を受けましたから、爆死する必要はなかったようですが。
栗原さんは真面目な人なのでしょう、裁判所で多くの裁判官を道連れにしなかったのは、裁判官以外の無関係な人たちも巻き添えにするかもしれないと考えたからかもしれません。とはいえ、孤立してなければたぶん爆死せずにすんだのではないかと残念に思います。
DV男と一方的に断罪され、多額の金を妻や司法にむしられ、プライドもズタズタにされたとしたら、なまじ真面目に生きてきた人なら、そりゃあ耐えられないだろうし、生きてもいけないしねぇ。
その恨みがあるから、ひっそりと死ぬこともできず、溜まりに溜まった怒りを世間に表明するには抵抗の証として差し押さえられる家や車を燃やして、自分も公開の場で華々しく爆死する必要があったのかもしれません。
あのコメントに私が気付いてたら、あるいは彼が私のブログの方にコメントくださってたら、ひょっとして別の展開になってたかもしれません。それを思うとやはり残念ですね。爆死ではなくて、むしられ踏みつけられたクソの人生から再出発して、したたかに生き抜いて、裏切った家族というより家族をそのようにコントロールした多くの関係者をあざ笑うだけの強さを獲得して欲しいもの。
彼を貶めた人たちの人としての哀れさ惨めさをいずれ暴露するのもよかろうし、彼ら以上に豊かで満ち足りた人生のターミナルに行きつけばいいだけのこと。
けれど、そのためには価値観の大転換が必要だし、孤立してては無理だしね。クソのような司法にどうやってリベンジするか、笑いながら作戦会議するだけの仲間はいるのかな。
そんなこんなを感じた爆死事件でした。死に方はともかく、無念の中で亡くなられた栗原さんが今は恨みつらみから解放されて心安らかであられますように。