私のところにはDVやモラハラの加害・被害当事者も多く来談に来られますが、しばしばその本人や家族の方が人格障害ではないかと思われる場合があります。
法的対立でかなりこじれる場合が多いようですが、法的な解決は難しく、家族全員が深く傷つく場合が殆どです。論理的な対話はできず感情的な応酬のはてに司法は理不尽な判断で終わらせるしかなくなります。
人格障害という言葉はまだまだ深く理解されてはいなくて、精神疾患や発達障害とはことなり、一見普通の人で問題があるようには感じられません。
けれど、何かストレスがかかったり、対人関係のトラブルが起こったりすると、通常の範囲を超えた過度の攻撃性がでたり、感情的な反応になり、信頼関係が一挙に崩れてしまいます。
本人も悪意はないし、自身の認知の偏りとも思い至りませんから、うまくいかないのは他者の悪意だと被害者意識を募らせてしまいます。この意識は容易に防衛的な反応になり他者に対する非難や攻撃となります。
この本人の主張に巻き込まれて、周囲の人たちも引きずられてしまいます。本人の主張が真に迫ってるからそれが嘘とか誇張とは思えず、冷静で客観的な判断ができなくなってしまいます。
私の場合もまったく同様、人格障害としか思えない行動を行った退職したスタッフに巻き込まれて、すでに辞めてたスタッフが何人か、あからさまな偽証を行いました。
事実を知ってるスタッフは原告の訴えが事実無根で、嫉妬妄想による攻撃性が事実を捏造してまでの提訴の動機だと理解しています。けれど、判事は嘘の羅列された訴状であれ、それを事実に基づく訴えとして読みますし、それが嘘であるという事実については理解していません。勢い、正義をつらぬくより、世間や司法の慣例に基づいた、判事にとって無難な判断を判決としてしまいます。
かように、人格障害が絡む対人トラブル、特に家族間の対立に関して、日本の司法は殆ど無力ではないかと思うのが私の実感です。
家族間で問題が起こった時、善悪や常識、正義や倫理、法的判断で解決しようとするのは、こと人格障害の絡む場合は、適切とは言えないと思います。
問題は理屈ではなく、感情であり、認知の有り様の問題です。本人の不安や怒り、悲しみや孤独、などにフォーカスして、心理的な解決を目指す方が得策です。
それには、本人の独特な心理世界を理解し、少しずつ対話と信頼のチャンネルを太くしていくしかありません。時間と手間暇がかかります。司法の場の時間軸とは全く違います。
今日も、親子ひきはなしにあった当事者の方にそのような助言をさせていただきました。とりあえず、理屈では納得できる結論には至らないと・・・。
ブログに納得いただけたら、クリックお願いします。