支援・援助論

自己信頼の力・・・ 

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私のところには家族間で問題が起こった方が多く来られます。問題が起こって自分では解決できないので助けてほしいとか、解決する方法を教えてほしいとか、一緒に考えてほしいとか・・・。

それに対して、いろいろお話をお聞きするうちに問題の所在とか、何が問題かとか、なぜ問題が起こったかなど、いろいろその方のこれまでの体験や思いが語られるうちに、その物語が見えてきます。それは私だけでなく、その方にとっても新しい発見であったり、事実の確認であったり、未来の選択であったりするわけで、いずれ自分の中に答えを見つけて、自分の人生を歩んでいかれます。その方の人生の道のりの一部は私と共に紡いだ物語であることは事実でしょう。

いずれその方の幸せな未来から私にメツセージが届くことが私の喜びでもあり、私がボランタリーに活動していける動機にもなっています。そういった意味で、自分の人生について、自分の存在について、自分の家族について、傷ついたり悩んだりすること、そのことを私に伝えてくれたこと、それらはやはりその方の人としての力だと思います。悩む力、苦しみを受け入れる力、新しい道を求める力、苦悩を伝える力・・・

残念ながら、誰しもこの力を持っているわけではありません。自分の問題と気づかない人、自分の問題として受け入れない方、自分の問題を他人の問題に転嫁する方、こんな方は自分と向き合うことはしませんし、問題を他人に転嫁して、他人を批判攻撃します。いわゆるコントローラーです。

誰かが悪い、と、異質の他者特に狭い自分の価値観を脅かす異文化の人やマイノリティー、社会的弱者に怒りや憎しみをぶつけます。しばしばマジョリティーとしての権威や権力には恥ずかしいくらいに従順だったりします。自分の傷つきを恐れる人たちのいわゆるヘイトクライムの心理的メカニズムのような気がします。

映画「顔のないヒトラーたち」では戦後、マイノリティーに落ちたナチ残党が過去自分のやったこと言ったことには一切口をつぐんで普通のより良き市民のふりをしている人たちをあるジャーナリストがあぶり出していきます。

その彼らもナチスに協力しないと殺されるかもしれない、みんながやっているように協力すれば、生き延びれる、豊かに暮らせる、という状況を体験しているのだから、彼らの行為を批判することは難しい。けれど、他の選択肢をどこまで模索したのか、戦後、自身の体験を語り、謝罪したのか、その辺りはとても大切なこと。

私の父親はもう三十年ほど前に他界しているけれど、彼は上海で青年期を過ごし、中国語も話せたようだし、中国人の友人もいたようです。その彼は兵役に就く際、下士官を拒否して軍に逆らったから、兵隊として中国の奥地に送られることになるけれど、かろうじて生還するまで、いわゆる戦場の暴虐には荷担しなかったと私に語ってくれました。

当時日本軍は三光作戦としてゲリラ集団と目される村を焼いて奪って、殺して、という、戦略を取っていたようです。その中にあって、「東洋鬼来来」という村人の言葉を、助けてくれと命乞いする娘の言葉を理解する父親は、戦場の鬼にはならずにすんだようです。犯さず、殺さず、奪わずに、彼自身がよく生き延びたものだけれど、後々、自分はひどいことはしてないから性病検査もする必要はないわ、と私に語ってたから、彼の語りは嘘ではないのだろうと、子供心に理解した私です。

けれど、戦場の暴虐に加担した多くの日本人は「顔のないヒトラー」たちのように沈黙を守り、人がどれだけ人の尊厳を失っていくか、語ることはありません。被害者としての痛みは語りやすいけれど、加害者としての痛みは語るのはとても難しい。優しい父であり、立派な夫であるがゆえに、自分がどれだけ残虐なことをしたか、せざるをえなかったか・・その苦悩を自ら語る力は、おそらく誰にもないでしょう。その語りを引き出し、受け止める力が、多くの日本人にないのだから。

ほんとうに人間は弱いものです。自分と価値観や文化の違う者の存在を否定する思想の危険性は、テロリストであれ、ヘイトクライムであれ、医療者であれ、法曹人であれ、彼らが弱者になって、排除されたり殺される時に彼ら自身にもわかるのかもしれません。とはいえ、爆死して殉教者になった者、宅間くんや松野くんのように、自らの蛮行に酔いしれ自己完結している者にはその危険性は無意味だし、苦悩することもないのだろうけれど。

人は悩み、苦しみ、救いや癒しを求めたり、解決のために相談したり、祈ったりする力を、誰しも持っているはずだけれど、その力を奪って、憎しみや不安を駆り立て、傷つけ合うよう仕向けるのは・・一体誰なんだろう。

かろうじて、社会に適応しきれない私が、怒りや憎しみをたぎらせることなく、人と分かりあい育ち合う関係を作り得ているのはなぜだろう。金や地位や名誉ではなく、このままでいい、奪わなくていい奪われなくていい、と日々をささやかに過ごしてた私の両親の人生があったからだろうと、今更ながらに思います。
それが自己信頼であり、自己肯定感の本質でしょう。不安と欠乏感と多少の優越感にしがみつく多くの人たち・・・自分を信頼してほしいものです。信頼できる自分になってほしいものです。

今日は悩みを私に語ることができなくて、キャンセルされた方がおられて、多少暇だったので・・・長い文章書いちまった。最後まで読んでくれた方、お疲れ様でした。ありがとう。コメントくれたら嬉しいです。

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