DVやモラハラ、デートDV等の暴力問題・家族を巡る不安や問題のためのカウンセリング・ワーク・シェルター等の複合的支援を行っています。

日本家族再生センター

カウンセリング日記

不安からの解放

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昨夜遅くに、心乱れて辛くなった方からお電話をいただきました。しばらくお気持ちを聞かせていただきました。しばらく何も考えず全てを忘れて心休めるために、京都においでよシェルターも空いてるし、とお返事をかえしてお電話を終わりました。お昼にも、不安に囚われたまま、なかなか気持ちが楽にならない方が二ヶ月ぶりにご来談されました。

一旦不安に囚われてしまうと、なかななかその思いから逃れられません。認知行動療法で鬱の自動思考を改善させるということも言われていて、確かに認知を変えれば情動も変えることができる、という理屈もわかります。

けれどこの変えられる認知というのは意識領域の合理的な学習記憶であって、生育初期の不合理な体験による無意識領域での体験記憶には認知行動療法はあまり役に立たないのではないか、といろんなクライアントのお話を聞かせてもらってるうちに感じてしまう私です。(もちろん私の力のなさがあるからなのだけど)

私自身は生育での体験はとてもいいもので不合理なものは感じられないのだけれど、今でいうLD(学習障害)と考えられる状況の私は社会適応することの不安から思春期すぎて不安障害を抱えてしまうことになりました。この不安は実存不安として長い間私の心を支配していました。

誰にも理解されないと思い込んでた実存不安の恐怖に対して、セラピーを受けるとか、誰かとシェアするとかもなく、不安からくるパニック発作からとりあえず逃れるためにアルコールに依存して生き延びるという選択をしてたけれど、長期的にはなすすべもなく、不安は続きブラックアウトも少しずつ酷くなるという現実を生きていました。その間15年。

結局私は自分の努力とか誰かの力で問題を終わらせることはできませんでした。自分の無力を受け入れ世界にひれ伏して、自分の存在すら手放すことを受け入れるという体験をすることで、私はやっと不安から解放されました。まさに偶然の出来事。

このあたりの体験や情動の変化について、言葉で伝えるのはとても難しい・・・けれど、今不安や悲しみに囚われて出口の見えない方たちに対して、自分ではもうどうにも努力しても忍耐しても、解決することはできないってこともあるってことを伝えたくて・・・言葉を探す私です。自分ではどうにもできないし、それでいい。

では、結局救われないではないか・・ということになるのだけれど、そうではなくて、自分ではどうにもできなくても、人の力や偶然の出来事、あるいは神の力で、自分が変わる余地はある、ということ、むしろ深い無意識レベルの情動に関しては、自分自身では変えられないことの方が多いけれど、人は一人で生きているのではないから、委ねることで救われる、解放されるということを伝えたい私。私がたまたま偶然の出来事から救われたように・・。

こうなってくると、心理学というより、宗教に近いものになってきます。私が自分のことを「ソウルフルセラピスト」と面白がって自称する所以です。それにしても、不安に囚われた人の心は、なかなか解放されるのは難しい・・・とりあえず、いろんな依存で直面の危機からはにげてもいいよね。私も長い間のアルコール依存でやり過ごせたし、それも意味があったと今は思えるのだもの。

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以前アップした名前のわからない花はイソトマでした
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