ああっ仕事がつらい・・ああっこんな夫とくらしたくない・・ああお金が欲しい・・ああ自由になりたい・・・etc いろんな悩みや困難を抱えた人たちが私のところにやってきます。世の多くの人たちにとってさまざまな困難な状況があり、その状況を変えたらその困難や不幸から逃れられると考えるのは当然で、ある人は弁護士に依頼したり、ある人は転職したり、ある人は手術を受けたり・・ある人は離婚したりとその状況を変えて幸せになろうとするのですが・・・たしかにそれでいっときは問題解決となるのかもしれませんが、しばらくするうちにまた問題が発生して、悩みはより深くより困難になることも少なくありません。
映画、マトリックスの中で主人公ネオはある日不思議な電話の声に従って行くと、おかしなお誘いを受けることになります。今までの安逸で平穏な暮らしが欲しければ青い錠剤を飲め、真実を知ってほんとの世界でほんとの自分を生きたいなら赤い錠剤を飲め・・さあどちらだ・・と選択を迫られます。もちろんネオはレッドピルを飲むことになるのですが、その瞬間から世界はがらがらと音を立てて崩れるように、ネオを取り巻く世界が変わっていきます。
このシーンはあまりにも有名なシーンですが、それは私たちの世界を暗示しているからかもしれません。
マトリックスのネオこれは架空の存在
メディアの流す情報やさまざまな私たちの暮らしを成り立たせる事や物が実は虚構のものであり、巧妙に作られた家畜のための飼育場でしかないということ。では一体誰がそんな世界を作っているのか、私たちはなぜそれに気づかず何十年も平穏に暮らしてきたのか・・疑問符はたくさん湧き上がってきます。で、そんなの陰謀論だよ、陰謀論にハマっちゃダメだよと、真っ当に思える声に従って、これまでどおり、メディアを信じて、非常識な言説に騙されないように心確かに暮らして行く、多くの人たち。
我が家のネオこれは実在する存在
けれど、この二、三年、コロナ騒動以来、どうもメディアの言ってることがコロコロ変わってたり、あからさまな嘘だったりしたことが発覚したり、政府は人々の意見を無視して勝手に法案を通したり、と、どうも、一体何がほんとのことかわからなくなってきた、そんな人も少なくないものと思います。とはいえ、まだそのモヤモヤを払拭するために、えいっやっとレッドピルを飲む人はさほど多くないのかもしれません。政府がもうマスクしなくていいよって言っても、マスクを外せなくなった人たちがまだ七割八割ですからね。
前置きが長くなってしまったけれど、私のところに来られる多くの人たち、たいていの相談窓口やら支援先でいろいろ体験したけれど、どうも違和感を感じて、あれこれ検索した結果私を見つけ出してくださった人たちです。で、彼らは私の薦めるレッドピルを飲むことになるのですが・・・・
彼らはその結果、自分をとりまく困難な状況が実は誰かによって作られた構造的なモノであり、自分の不幸や苦悩も、その構造から逃れられない自分の問題であることにも気づきはじめます。真実とは何か、自分は一体何者か、なんのために生きているのか、なぜ自分は傷つき苦しんでいるのか・・などなど・・考え始めると、実存不安に苛まれることになったり、この世のあまりの醜さや、自身の無力さに絶望したりと、とても苦しい道のりを歩き始めることになるのですが・・・(ネオがいろんな人のサポートを受け自分の身体を一から鍛え直す作業に入るように・・・)からっぽの自分を受け入れ、多くの当事者仲間や私の支援を受け入れることで、自分の真実・・・自分にとっての実存を見つけ出し、それをかすかな希望として新たな自己概念の再構築が始まります。(あたかもパンドラの箱の底の希望のように)
そして何年か後にふと、自分が何ものにも縛られず、自由に生きていること、それを実感していることに気づくことになります。ああ、確かに、何者でもない確かな自分がここにいる、そしてこの自分に至るためには、それまでのさまざまな困難や苦悩も、大切なエピソードとして必要だったし、その体験やそこからくる感情も、これからの自分を豊かにそして多くの人たちを豊かにするための大切な出来事なんだ!! と自分の過去の体験やトラウマも意味あるものとして、人生物語が書き換えられることになります。
そう、私は一人の当事者として、そしてセラピストとして、ネオにレッドピルを選ばせたモーフィアスや、ネオを愛で満たしたトリニティーのように、クライアントに寄り添い、見守り、癒したり育てたりと育ち直しの作業をするわけです。
こんな私が今声を大にして伝えたいこと・・「メディアに騙されるな、真実に目覚めよ、家畜小屋から出て、自分の足で歩け・・・幸せになれるから」ということ。大袈裟だけれどね。
やっと自分の足で歩けるようになった癌患者の私