家族間葛藤やらDVモラハラ、虐待などの問題に対して、相談窓口で弁護士を紹介されることも少なくありません。弁護士は基本、法律を使ってのケンカ屋さんです。クライアントの法的利益、要するに相手から金を取ることが仕事。離婚しないと成功報酬は取れませんから、クライアントが仲良くなられたら、解任となって仕事にならないわけです。また双方代理はできないので中立的な立場に立つことはできません。
また調停前置主義も裁判で争う前にちゃんと話し合いなさいというのがその理念ですが、弁護士が入ると、調停も裁判の前哨戦になりかねず、結局やむを得ない離婚になるか、不成立になって裁判に移行するかでしかない場合がほとんどです。
裁判になれば、どちらが悪いかの叩き合いでそれを裁判官がジャッジするだけのこと。その夫婦の心情や心理的問題には触れることはありません。ですから司法でケリがついても心理的には何も終わらないどころか傷つきやら相互不信が強まってしまうのがオチ。
本質的な解決には、ことの善悪ではなく、それぞれの体験や思い、傷つきや痛み、愛情やら信頼やらの数値化できない問題に踏み込み、その修復やら癒し、そして相互理解を促す作業が不可欠。ここは司法の場でできることは何一つありません。そして、残念ながら、心理専門職と言われる方たちの多くも、司法や行政の怠慢やら限界について、あるいは法律や制度、現場の現実などについてほとんど学んでいませんから、当事者の求める支援は程遠いというのが私の感じるところ。
以前、私が当事者は裁判で一方的で不当な判決を出されたら怒りが湧いてきて、裁判官を殺したくなるよねえねなんてことを書いたら、私の文章が加害者に味方するとんでもない文章だみたいな反論をいただいたけれど、この方随分と病んでおられるのか、冷静さを失ってる文章を書かれてましたね。私は怒り狂った当事者が、事件を起こさず、たとえ理不尽な判決が出されても、その怒りを犯罪へのエネルギーではなく、自分の新たな非暴力的な人生の再構築のために使うことをサポートするのが私の仕事と理解しています。
でないとたとえ裁判で勝ったところで被害者の傷つきも恐怖も終わらないし、自分の問題は何も終わってないからまたぞろ似たような相手と一緒になって問題を繰り返すということになりかねません。傷ついた被害者がいつまでも痛みを抱え、加害者に対する怒りで自分を支えるって、その気持ちはわかるけれど、これって病んでますよねえ。ちっとも幸せそうには感じられません。
翻って私のところでは加害被害性別問わず支援していますし、力がついた当事者には酒を飲みながら男女当事者が語り合うというセッションもやってますけれど、そこで事故ったこともないし、長年参加してるいわゆる女性被害者はDV男に対して恐怖も怒りもなくなり、ふつうに対話することが可能になります。これが本当の意味での被害者の回復なんだと思うけれど、こんな支援してるのは私だけですよねえ。
こんなことができるのは私が行政の補助に頼ってないからだし、中途半端なDV理解ではないこと、ワンストップで多様な支援が受けられる複合的支援にしていること・・など・・・だからなんですよねぇ。昔いっしょにやってた、今は立派なセンセにに成り下がってる、あの方たち、この方たちはもちろん、肩書きだけは立派で中身のペラい支援者が行政とつるんであれこれやろうとしているけれど、この方達も所詮中身のないもの同士、何をどうやっても支援のための支援にしかならないだろうというのが、私の判断。さてさて、明後日は台風と東京セッションがぶつかりました。以前あったようなバスの運休にならないことを祈りつつ、とりあえず、痛む脚を引きながら、東京に向かうことにしましょう。