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日本家族再生センター

支援・援助論

子供に自由を・・・・心の檻は壊せるし

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このところ、親子関係の悩みを聞かせていただくことが増えてるけれど、大抵の親は問題は子供の問題と捉えています。不登校、引きこもり、暴力、摂食障害・・etc

けれど、よく聞けば、子供の問題というより親自身の問題であることが私にはわかるけれど、親ご本人はその視点にはなかなか思い至りません。育て方が悪かったのか、と悩むことはあっても、何が間違ってたのかについては無理解で、誰に聞いてもその答えは出てこなくて、悩みは深まるばかり。

先日もある母親と話してて、いつも息子のことで悩みを話してくださるけれど、五年ほど前は、勉強しないで友達と遊んでばかり、進学にも失敗したり、あれやこれや、悩んでおられて、ママ友の子供達はみんなよく勉強もできて親に反抗もせず、何の問題もないのが羨ましいと、愚痴っておられました。

当時の私、「親に反抗する、友達と遊んでばかりで勉強しない・・・ごく自然でいいように思うけれど・・・むしろ何の問題も起こさない子供達の将来が心配」と話してたような気がします。

で、その息子さん、今学校の単位は落とさない程度に勉強し、今もバイトしたり友達と遊んだり、彼女のところに入り浸ったり・・と、親からみると心配は続いてるようだけれど・・・対人スキルや、セルフマネジメントはしっかりしてて、私は安心して聞くことができます。息子に何の問題もないと・・。

私が心配になる多くの子供達・・・というより立派な大人の年齢になった子供達は、少年期や青年期に、親や学校の価値観に適応してて、問題も起こさず、スムーズにやってこれた人たちです。彼らは、正しいことをしたら間違いない、偉い人の話を聞いて従ってたらうまくいくと、信じ込んできた人たち。

けれど、社会に出たら、正しいことをしたのに失敗したり、偉い人に従ったのに裏切られたり、努力が報われるどころか疎まれたり、正直を馬鹿にされたり・・・そんなことが続くと、何を信じたらいいのかわからなくなり、誰も信じられない、自分以外みんな敵だとか、自分の存在に意味はないのだ、と思い込んだり。

その孤立することの不安は怒りや絶望になって、自分に向かうか他人に向かうか・・・中には死んだり殺したりということに。彼、彼女にとって問題は状況にあるけれど、実は状況の問題ではなく、本人がこれまでに取り込んだデータの偏り、アプリのお粗末さにあるわけで、他のデータを見たこともなければ他のアプリで遊んだこともないしで、自分の状況に対して適切に対応することはできません。もちろん、その責任は本人にはありません。親だったり教師だったり・・の大人たちの責任です。けれど、その親たちも、もともと子供に与えるべきデータを知らないんだから、どうしようもありません。

  19.8.6朝日

今、全国で年間600人ほどの十代の子供達が自殺しているけれど、その数字をどう見るか・・いろいろ解釈はできるでしょう。2万人の自殺からはわずかだと見るのか、年間六十人の虐待死から見ると多いと見るのか・・・数値化して客観視する態度は不可欠・・だけれど、同時に事例に即して、その個々の当事者の感情に寄り添うのも、セラピーとしては重要。

どうにも出口が見つからなくて長年苦しんでる親子に対して、出口を一緒に探すのが私の仕事だけれど、実は、閉じ込められている状況・・仕事とか、お金とか、世間体とか・・将来とか・・それらに対する思い込みが出口を見えなくさせている・・というより、ほんとは本人を縛る状況の檻というものは単なる妄想・・・学歴があれば将来安泰とか、仕事をちゃんとすれば収入も安定とか、結婚すれば幸せになれるとか・・というファンタジーの裏返しでしかありません。それらはすべて妄想です。妄想に囚われて苦しんだるだけ・・

これまで、そんな妄想を前提とした無責任なアプリしかインストールしてこなかったということに尽きます。そんな妄想を捨てれば、たちまち自由で楽な生活になるか・・といったらそんなに簡単ではないのも事実。妄想といえど、それにすがってきてるから、簡単には捨てられないし、捨てられないから新しいアプリをインストールする余地もないし。

というわけで、大丈夫、古いの捨ててもすぐに新しいバージョンを入れてやるから安心しな・・と言ってくれる援助者が必要・・・なんだけれど、実は、そんな援助者がいないんよね。たまたま古いアプリでも問題なく動いて立派なセンセになつた人たちが支援者になってるから、インストールしたところで、また同じトラブルを重ねるだけ。

で、役にたつアプリはどこにあるかって探したら・・実は誰も見向きもしないようなジャンクの中に埋もれてるのよねー。ジャンクの中でそこそこ稼働してたり、壊れずにスリープしてたり。

その概念・・・アリータとか ゴーストインザシェルの映画にも使われてるかな。私がリーダーをおかないグループワークを続けるのも、クソの人生の中に宝があると言うのも、そういうこと。死んだり殺したりする前に・・そのクソのような体験の中に・・実は・・大切なものがあるかも。うまくいってた・・と思ってたことこそファンタジーだものね。

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