人が悩むのは自分の思いとは異なる現実、その不一致が悩みになると喝破したのはロジャースでしょうか。
自分自身についてもまた、あるべき自分と現実の自分の落差が大きいほど悩みも深くなります。その「あるべき自分」というのがどうしてそうあるのか、当たり前すぎて、たいていの人はほとんど考えることはありません。あるべき自分にどうすれば近づけるか・・・そればかり。
多くの人は「あるがままのあなたがいい」と言ってもらえることはなくて、頑張るあなた、努力、忍耐するあなた、進歩、成長するあなたは立派、そうしないあなたは怠惰、情けない人、惨めな人、と蔑まれたり、軽蔑されたり、叱責されたり・・・。これは家庭でもも学校でも・・・。
あるがまのあなたが素敵、と言ってもらえたら、自分のあるがままでいいのだから、自分の心のままに成長し自分らしく生きていけます。世界でただ一人の貴重な存在として、誇りと勇気をもって揺らぐことなき人生を歩めるでしょう。
けれど、現代に生きる多くの人は、あるがままの自己を承認されることも、大切にされることもなく、努力、忍耐を強いられ、世間の求める自己像を自分のあるべき姿と刷り込んでしまいます。男らしく、女らしく、真面目で、努力し、自己犠牲をいとわず・・・そんな自分になろうと。
そしてそんな自分のはずなのになぜか現実は、その通りにいかず、失敗し、挫折し、嫌われ、責任も取れず、裏切られ、どうしようもない自分に向き合わされることも少なくありません。こんな自分は生きてられない、生きる意味もない、消えてしまいたい・・・思いつめてしまうのもまた当たり前。実際毎日70人ほどが自ら命を絶ってしまう日本の現実。
そんな方が私につながってきたら、その絶望に寄り添いつつも、あるべき自己像についての検証をお勧めするのはもちろん、さまざまなネガティブな自己概念をポジに書き換えるお手伝いも私の仕事。そのためには、心に蓋して、ないものにしてた自分の哀れな姿を語れた時は、私は語ってくれた嬉しさや感謝を伝えます。あるがままを受け入れてもらう・・・そんな体験から自己概念の再構築が始まるのだから。
今日の見切り品・・・熟柿10個で百円、バナナ8本で128円、見切り品は私の幸せ・・・