私はカップルカウンセリングで高葛藤のカップルのお話を聞くことも少なくないし、カップルでなくてもDVやモラハラなどパートナーの言動に困り果てたかたのお話をお聞きすることは、ほぼ毎日のこと。
そんな中で、見えてくるのは、それぞれのクライアントはパートナーはおかしいとか、私たちは特別異常な状況にあるとの認識を持ってるけれど、実は特別ではなくて、みんな同じような言動を行い、同じような悩みを抱えているということ。私にすれば、どこにでもある普通のことで、だれにでも起こりうる話。
なのに、当事者は、異常な事態が起こったとか、相手が理解不能なことをするとか、などなど思いこんでたり、思い込まされてたり。その思い込みを煽って不安にさせ、支援につなげることでカモネギにする、そんな支援者も少なくないようです。
多くの当事者も支援者も、誰が悪いか、何が悪いか、ようするに問題を起こしたと言われる人の行動や価値観をジャッジしたり排除したりして問題解決を目指します。けれどねぇ・・それでは終わらんのよね・・継続的に支援を続けてるとよくわかる。対症療法で症状を抑えても別の症状が出てくるつて感じ。
で私がいつも語るのは、相手の問題、状況の問題ではなく、関係の問題であり、自分の認知や情動の問題ということ。他人は変えられない変えられのは自分、ということにも通じます。
そもそもカウンセリングは相手を変えるための支援ではなく、自分を癒したり成長させたりするための支援。だから、自分は問題ない、すべて相手が悪いと信じ込んでる人は、自分を変えるためのカウンセリングは無用と考えていますから、相手をコントロールするための手段を選び、たとえば弁護士に依頼します。
けれど、法的に勝っても負けても、自分の問題は残ります。自分の問題は新たな問題としていずれ表面化してきます。
だから、私は、極力争いは避けて、自分を成長させること対人スキルを向上させ、価値観を多様化させることで、問題の本質的な解決を目指すよう助言していきます。
先日も調停が終わって「離婚という選択になったけれど・・」と喪失の痛みに泣きながら裁判所から電話をくださった方がおられました。
その方、問題発生の当初から私に関わってくださってて、極力対立を避け、譲歩しつつ夫婦の問題と子供の問題を絡めないよう、努力してくださいました。残念ながら、相手方はこちらにつながっては来られませんでしたので、夫婦関係としては修復的な形には進みませんでしたが(今の所)親子関係では、宿泊を伴う面会交流を調停の合意事項とすることができました。なんと。
相互の不信感を取り除き、相手が安心し相互信頼に近づくことで、問題がこじれるのを防ぐことができ、いずれは問題がなくなっていきます。いくら司法判断でどちらかの都合よく、あるいは中立的な判決が出たところで、当事者が納得してなければ、問題は終わらず判決後ももめ続けることになります。司法で人の心はさばけません。
家族が対立したり、傷ついたりするのは、認知の問題や善悪の問題というより、もっと深い情動の部分での問題です。その情動のありようは生育の問題も絡んできますし、差別や偏見など社会の問題も絡んでいます。
となると・・・当事者支援・・・ほんと難しくなりますよね。問題とは一体なんなのか、支援者自身が自分の人生と社会との関わりにおいての不一致を抱えてたら、支援における問題を当事者の問題に転嫁するから・・・本質的な支援には至らず支援のための支援になってしまいます。だからDVも虐待も無くなるはずがない・・
んだけど、ナラティブセラピーの先を行くメンズセラピー・・難しすぎて専門家も近寄ってこないしね。はあー
とはいえ、今度の日曜はメンズカウンセリンググループの初のお披露目パーティーです。いますぐ世の中には伝わらなくても、せめて回復した当事者たちが一堂に会して、その有効性について確認しあえたらいいな・・と思います。