今日は多忙でした。カウンセリングが五件。今日お聞きした方達、調停中だったり、弁護士が絡んでたり、はたまたどこかの高額な加害者プログラムが絡んでいたり・・・。それぞれ結構長い間紛争が続いています。
長い間争いが続いているうちに、消耗したり、不信感が募ったり、事態は修復的には向かいません。それはそのはず、司法が絡むと、どちらが悪いかとジャッジされるだけなので、相手の非をあげつらうのは当然の事。しかも民事だから、中立的客観的な立場での証拠が出されるわけでもないし、虚偽の主張をしても特にそれがペナルティーになるわけでもないし、いわゆる嘘つき合戦になるのがオチ。その嘘で、お互いが傷ついて不信感が増してしまいます。
だから私はどちらが悪いかという問題の立て方はしないし、悪者にペナルティーを課すみたいな発想もありません。加害者に対する更生プログラム、や教育プログラム、治療プログラムも行いません。そもそも一方的に加害者・被害者とラベリングするのも極力控えています。
その家族にとって問題は何なのか、どうすればその問題が終わるのか、私が正解を出すのではなく、それぞれの対話の中で最善を導き出すしかありませんが、私はその際の通訳だったり情報提供者だったりするのが仕事。
それぞれのお話を聞いていくと、その家族の歴史のどこで問題が発生しどのようにこじれて行ったのか、おおよそわかるし、その多くの場合、親世代の問題の連鎖があるのも感じます。それは社会の差別や偏見、経済状況と無関係ではありません。とどのつまり誰が悪いと決め付けたところで何も解決しないということ。
なのに、司法の機能は誰かの行為のみをもってそれが善か悪かを決め、制裁を科したり、家族解体を判断したりで、修復的な視点に立つことはありません。
今日最後にお話をお聞きした方、関わり出して一年と少しになるけれど、あれはよくある話でしんどい状況のときに私につながってこられました。
私は、その方に弁護士も不要だし、相手の言い分を飲んで、執着を手放し自分の問題を片付けていきましょ、と白旗戦略を助言しました。世間の弁護士の助言とはまったく正反対です。その方、不安だったとは思うけれど、私の助言のままに判断していかれましたが、結果、こじれることなく、家族の形や関わりが変わったけれど、子供をめぐってはほぼ、共同養育が実現してるし、ご本人自身も今はモテ期に突入して、モテ男の悩みを聞かせていただいたというわけ。
そいえば、先日も、しばらく私に関わってる夫婦がちょっとしたことからヒートアップしたけれど、一度のカップルカウンセリングで、とりあえず、別居後の共同養育プラン作成までこぎつけました。
修復的支援があれば、数回のカウンセリングで問題を終わらせ得るのに、下手に司法が関わると、こじれにこじれて、親子断絶になってしまうのが大抵のケースです。もちろん司法に修復的能力がないというのもあるけれど、そもそも、家族をめぐる法律や制度が時代錯誤なんよね。法曹はもちろん立法者も行政もその辺り、能力的にお粗末だし・・と言いたくなる私です。
はあー、それにしても今日はよく仕事しました。おつかれさーん。
昨夜の雲間の月