DVやモラハラの加害・被害両当事者のお話を毎日のように聞かせてもらう中でつくづく実感させられるのは、それぞれの主張でかたられる事実の違いようです。まったく白と黒のようで、同じところはほとんどありません。
いったい事実は何なのか、それが分かるはずもないけれど、それぞれの物語に寄り添う私。そこではっきりしてくるのはそれぞれが相手に抱くのは、それぞれの妄想の物語ということ。
相手の言動を確認することなく自分の価値観で理解しようとしても、所詮理解不能、このわからなさが不安を呼び、妄想を生じさせてしまいます。不安や妄想に基づいた言動は相手に対してさらなるネガティブな対応を引き起こすという悪循環になってしまいます。
先日もある知人の態度が突然の変化を見せて、私にはちんぷんかんぷん、その悪意と憎悪の満ちた態度は、その方の妄想の大きさを感じさせますが、思い起こせば、あれはもう七年ほど前のこと。
それまで一緒に仕事してたスタッフが、突然仕事を辞め、しばらくして事務所に怒鳴り込んでくるわ、半年後に以前に辞めたボラスタッフたちを伴って、私をセクハラで提訴するわでもう大変。マスコミを呼んで記者会見しての提訴です。マスコミはその会見の後、私の事務所にぞろぞろやってきてカメラの放列。いったい私は何のことやら誰のことやらちんぷんかんぷん・・セクハラなんてやってもない私には訳がわかりません。「いったい何の話か寝耳に水」と答えたけれど、それはほんとにその通り。
訴訟が進む中で、私の知らない半年のうちに私を潰すための訴訟の準備が進められたこと、その物語が一人一人の嫉妬妄想や虚言に基づくものだったこと。原告や周辺のスタッフもその物語に怒りを覚え、私を潰すために謀議していたことが理解できました。
ほんとに考えてみればお粗末で恥ずかしい話だけれど、安易にスタッフを受け入れ信頼してたこと、しっかりした情報や価値観の共有がなかったことが、問題の原因で大いに反省し学びを得た私です。
以降、私は専従のスタッフは置かず、信頼できる人だけをボラスタッフとして受け入れ、極力対話を重ねるよう気をつけてきました。ですから、あれ以降大きなトラブルもなく、それなりにクライアントからの信頼は得られていると自負しています。
とはいえクライアントでもなく、かといってボラスタッフもない周辺の人たちに対しては、私の関わりは限定的、勝手に妄想されてもどうにもなりません。けれど、こういう支援をしている限りそんな話は当然起こります。できることは、ボラスタッフやら支援に関わってくださってる方たちと、支援の状況やら価値観の共有を密にし、妄想や嫉妬の入り込む余地の生じないようにすることでしょうね。
この辺りが世間で、当事者が援助者になることは無理、と判断されることでしょうし、当事者による支援を言う私の抱えるリスクともいえるでしょう。でもねぇ、そのリスクを負ってでも、当事者による支援を続けていく私、その有効性を実感してますからね。
その有効性・・当事者が語るしかないけれど、その語りが文字となって、今続々と私のところに集合中・・・この秋にはまとまって書籍化されるよきっと。
昨日ペアレンティングサポート(面会交流支援)で出向いた山科駅前に咲いてた水仙。