ここ十数年離婚をめぐる家族の悲劇は増えこそすれ減ることはありません。離婚できないばかりに苦悩から逃れられない被害者にとって離婚は一つの救いです。けれど、離婚後の苦悩が生ずる可能性があることもまた事実です。
家族の問題は離婚することで解決するのか、そのあたりちゃんとした議論がなされているようには思えません。
困難を抱えた当事者は往々にして困難の原因を相手やその状況に起因すると考えています。DV・モラハラ・飲酒・浮気・借金などなど・・表面的にはそれは事実であり、その事実に対する法的対応で問題解決させるのが司法であり弁護士でしょう。また、教育的対応としての更生プログラムを、いわゆる加害者に受けさせるということも少数ながら行われています。
家族間暴力に関して、こうした法的対応の根拠としての防止法が15年ほど前に施行されています。そのご防止法が機能していれば家族間暴力は防止できているはずですが、認知件数は増えこそすれ減ってはいません。防止法では防止できていないのが現実です。暴力を防止できない防止法です。そして暴力の増加と並行して離婚も増加しています。離婚でみんなが幸せになってるなら問題はありません。けれど、離婚後の貧困や暴力、病理の連鎖が起こっています。
法律ができ、予算が組まれ、専門家が動き、なのに問題は終わることなく増加しつつ連鎖している現実。ナラティブで言うところの問題がシステムを作りシステムは問題を必要とする・・というところでしょう。要するに支援が専門家の利権構造になってしまうと、支援のための支援になってしまって、カモにされる当事者は再生産されるという構造です。
私はアカデミズムにも行政にもコミットせず当事者の当事者による当事者のための支援を続けてきました。そんな私だからこそできる支援はやはり当事者の利益、幸福を最優先とした支援でしょう。
離婚することが利益なのか、幸福につながるのか、困難の原因は相手なのか状況なのか、それとも自分なのか関係なのか、選べる選択肢は他にないのか、様々な視点で考えながら対話を重ねていくことで、家族一人一人が成長し、問題が問題でなくなっていくというマジックが起こりえます。そんな支援を行うには、ノーコントロール、ノージャッジ、価値観を押し付けない当事者視点の援助が不可欠・・。
それに加えて、当事者の様々な状況にできるだけ対応できるよう、グループワークやグルメナイト、シェルター、アドボカシーなど複合的支援を行なっています。結果、離婚してもしなくても、家族がみんな幸せになる、そんな支援が可能になっています。
その辺りのことについて、こんど八月十八日長野は飯田市でおしゃべりします。お近くの方はぜひいらしてくださいね。