神戸製鋼・ニッサン・スズキ・・羽曳野市の府立懐風館・・もう恥ずかしいを超えて悲しい・・当たり前の常識が腐敗した管理システムに置き換わってしまった。国民の多くが責任回避、事なかれ主義、権威にへつらい、弱者をコントロールする権力依存症になり果てたのか。みんなDV当事者だ。
これは、私の関わる家族をめぐる困難にも言えることで、司法も行政も、警察も・・・あらゆるところで、日本という国家システムが腐敗崩壊しつつあるのを感じます。
国家はその権力を、国に生きる人々の幸せのために行使することと約束したのが現憲法であり新民法でもあります。その法理に従って、企業は経済活動を行うのも当然でしょう。
けれど、権力が一極集中し、その歪みを正し暴走を抑止する民主主義が弱体化することで、権力の腐敗が進みました。権力の腐敗は、権力を支えるシステムの自己保存、自己拡大が目的化してしまいます。時代の変化に合わせて改めて行くべき法理をむしろ過去の利権構造維持に沿わせようとしています。
その行き着く先は弱者の排除、異質の他者の排除でしょうか。権力を支える価値観に従わないものは批判、攻撃し権力を強化しようとします。
私はもともと、そんな権力や権威に抵抗感を感じ、極力そのシステムに与しない、価値観で暮らしてきました。確かに経済的には貧しい暮らしだけれど、セラピストとしてそして何より、一個の自由人として多くの幸せを感じる日々を生きています。
とはいえそんな腐りつつある日本というシステムを変えるには私の力は非力すぎます。願わくば、そのシステムに傷ついた人たちを癒し、エンパワーメントすることで、彼らが次世代の日本をあるべき姿に変えてくれるべく、語り、行動することでしょうか。
昨夜は過日に週刊女性に記事掲載されたAさんと話すことができたけれど、彼女は、女性当事者として発信し、アカデミズムや支援組織の分断を終わらせるべく奮闘されています。
長年加害者支援を続けてきて挙句にやってもないのにセクハラカウンセラーにされちまった私の声は、否応なく断たれてしまうけれど、被害者であり女性である彼女の声は、私よりはるかに説得力もあるだろうし、そんな彼女に期待する私でした。ほんと、これからは当事者が力つけて発信しないとね・・・・。
ちっとも綺麗じゃないけど・・この毛虫・・どんな蝶やら蛾になるのやら。嫌われてもいいもんね。