世間ではDV加害者は変わらない、だから逃げろ、分れろ・・ということらしい。
私は「適切な支援がないからDV加害者は変われない=適切な支援があれば加害者は変わる」といい続けてきたし、実際私の脱暴力支援で人生を変えていく加害者は少なくありません。
けれど、DV被害者は変わっているのでしょうか・・・被害者に罪はないのだから変わる必要はない、との言説が言われます。けれどほんとに変わらなくていいのでしょうか。
不安や恐怖、不信感や心の痛みに苛まれ、フラッシュバックに心乱される生活が変わらなくていいのでしょうか。そんなはずはありません。
それらの問題から解放されるには自身に起こったことに対する理解と自身の様々な心理的な解決を経て、人生物語の書き換えが必要です。
暴力的な言動に対する不安や恐怖を乗り越え、そんなパワーコントロールを拒否する勇気や自己信頼感を持たなければ、いつまでも誰かに依存し庇護されなければ自分を支えられないまま、他者のコントロールを受け入れてしまいます。
DV夫の支配から逃れて支援者のコントロールを受け、支援者の支援がなくなれば、また自分をコントロールしてくれる誰かに依存する。これではなんの解決にもなりません。
私はDV被害者の支援もしていますから、被害者が被害を繰り返さないためには、不安や恐怖から解放され、自己決定自己責任で自分の人生を生きる力を持つことが必要と考え、その考えに基づいて被害者支援をしています。
時と場合によって、分離保護は必要です。そして安心安全な中、対人スキルやコミュニケーションスキルだけではなく、自己肯定感の付与も大切。そんな私の支援を受けた被害者は、加害者のコントロールを拒否しながらも、コントロールしないされない、自由で対等な関係を構築し対話を模索していきます。
その対話の中で、相互に納得した相互の最善の関係も構築していけます。その結果の離婚であったり、再同居であったり。
大切なのはコントロールしないで対話できるか否か・・・それがその家族の未来の幸せを決めていきます。離婚するしないの問題は本質ではありません。
先日のカウンセリングでも、何人か妻と連絡が取れないし妻が何を考えているのかわからない、こちらのメッセージも届いているのかどうかもわからない、全て拒絶される、と辛い心中を語っておられました。
相手の妻さんは、DV男の言うことは信用するな騙されるのが落ち、いっさい拒否しろ、全て弁護士や支援者が上手く運んでくれるのだから・・との言説を信じているのかもしれません。
過去の体験からその様な言説にすがって全てを支援者に委ねたい、と言う気持ちになるのもわからないでもありません。ときにはそんな支援も必要でしょう。けれど、支援者はいわゆる加害者との対話の窓口として、対話の仲介に入るべきというのが私の判断です。それは、被害者の回復や将来の安心には相互信頼が絶対的に必要なのだから。被害者が安心できる様、加害者の様子や脱暴力の様子も知らせ、加害者にも被害者の痛みや回復の程度を知らせてしかるべきでしょう。
けれど、弁護士の業務上、離婚して慰謝料などから成功報酬を取るしかないのだから、修復的な働きかけはしないでしょうし、修復的な心情になる様な働きかけはそもそも心理の仕事ですし、弁護士の仕事ではないでしょう。
そんなこんなで、対話が阻害されたまま、相手に対する不安や恐怖を抱えたまま離婚し、不信感に苛まれて母子で暮らすことになった被害者の声を聞くこともしばしばあります。その方達の心の闇は深くて、その痛みを男性に対する怒りとして表現するしかないのもわかるけれど、それを聞くのも心痛みます。
そこまでこじれたのは、DV加害者の問題でも被害者の問題でもなく、DVに対する正しい知識が当事者はもちろん援助者にもないこと、適切な支援が加害者に対しても被害者に対してもないこと・・が問題の本質です。
少なくとも、私のところにつながってくれた方は、離婚するにしてもしないにしても、大抵幸せになってくれてるし、双方がつながってくれていれば、修復的離婚になる場合や再同居になる場合があるけれど、どちらにしてもその多くは幸せな家族になってくださいます。
でもねぇ・・・そんな修復的支援はないんよね。別れさせてなんぼの支援がまかり通っててね。残念なことです。被害者が回復しない被害者支援って・・なんなの?
グルナイやシェルター利用の参加者の娘たちが描いた落書き。