所有する喜び・・・金とか、物とか、権力とか・・多くの人たちはその喜びのために努力したり、我慢したり・・・特に男達は・・。
私は努力も忍耐もできない人なので、あれこれ所有するのも難しいし、所有することで自分を支えることは、とうの昔に手放してます。
そんな私が自分を支えるのは所有することではなく、共にあること、共に感じること・・何より自分のあるがままを世界と調和させることで、何ものにも代えられない喜びも得られた様に思います。
昔々、一緒に男性運動を始めた頃、伊藤公夫はメッサーシュミットだかの考えを紹介した中で、男達は所有、権力、覇権などのパワーをアイディンティファイして育つ、いわゆるヘゲモニックな男性性が問題だと説明しました。
これはもう三十年近く前の話。その伊藤公夫は、男性論の大先生としてアカデミズムの覇権を制覇したようです。当事者性を言い、当事者の生きる地平に身を置く私の言うことを聞かず、実は女の権利ばかりを言い募るフェミニストに擦り寄るメイルフェミニストなのにね(笑)
そんな権力男の言うことよりも私が昔感動した言葉・・確か黒人タレントのオスマン・サンコンさんが「僕の故郷の村では、I have..という概念はなくてI am with....というんだよ」といってたこと。私は家族と共にある・・私は鉛筆とともにある・・どんな人やものとも権力関係を発生させない価値観です。
そういえば、やはりネイティブな文化を持つ、アイヌの人たちも、昔は山で木を切るときは、木に「あなたを切っていいですか」と許可を得てからでないと木を切らなかったとのこと。
これらの話は、所有することの喜びではなくて、共にあることの喜びをアイディンティティーの基本とする・・男達が失った喜びはそこにあるんだと私に気づかせてくれました。
以来、私は所有することではなく共にあること、分かち合うことに喜びを模索してきました。その中で得られる実感も多々あるけれど、その一つが育てる喜び・・育つものと共にあることからえられる喜びは、なかなか男達は理解しづらいのかもしれません。そんな体験も学びもないのだから。
幸い、私は社会適応不全だったからこそ、そんな喜びに満ちた日々を送ることができる様になったのだろうと思います。ほんと何が幸いするやら。
百均でかったミニプランツたちが大きく育ちました。
春に産まれたメダカの稚魚もメダカらしく育ちました。
大人のコントロールのないグルナイでは、メダカが群れる様に子供達も適度に群れて遊びます。
子供も育つと、自分で作る喜びを理解していきます。
育てること、共にあること、分かち合うこと・・みんなが世界と共にあれば、戦争も環境問題も起こらないのにね。それは我慢や忍耐ではなくて、喜びや感謝、感動に溢れることなんだけれど・・これをどうやって伝えよう・・・そう、今夜はメンズクッキング、そんなことも少し伝えられたらいいかな。
今夜のメニューは・・・・デザートにポテトアップルタルト・・このメニューにも私の物語があるけれど・・それはまたいつかね。