性の問題・・なかなか語れない。性は人の大きなエネルギー源でもあり、合理的な管理も難しいようです。
だから明治政府は、性を抑圧することで、国民の管理に利用したのでしょう。様々な性的な多様性を否定し、ダブルスタンダードを伴うあらたな性規範を浸透させていったようです。
夜這いや同性愛、売春、春画、混浴、など性をめぐる庶民の文化を否定し、家父長制一夫一婦終生婚に収斂させました(赤松啓介・村落共同体と性規範)。性は個人のモノではなく、家のものであり、国のモノ、特に女の性は命も含め夫のモノであり、本人のモノではありません。家族を産み、育てる為のモノでしょう。
もちろん、男の命も国のためのモノいざとなれば捨てなければなりません。ただ男の性は女の性ほど抑圧は受けなかったのかもしれません。
そんなこんなで、性の問題は「闇」に閉じ込められ、表に出す事はタブーにされてしまいます。この性をめぐる抑圧が性加害・性被害の問題をより、難しいものにしてしまいます。
過日「強姦罪」が何十年ぶりかで改正され「強制性交罪」になりました。親告罪が非親告罪になり、被害の申し立てをしなくても警察が性犯罪を立件できるようになりました。
2017.9.20 21 Asahi
また、強姦の定義も膣に挿入するいわゆる性交だけではなく、口腔・肛門も含めた性的な行為を強姦の定義に含めたし、膣のない男も性被害を受けるものとされた事も重要です。男もまた被害者になりうるし、女もまた加害者になりえます。
さらにもう一つ、大切なこと、監護者性交も犯罪と認定された事。養子であれ実子であれ、親が子供に対して脅迫を伴わなくても性交するだけで犯罪となるのです。これまでは脅迫の事実がなければ(親子の合意があるとされ)性犯罪と認定するのが難しく、児童福祉法で対応するしかなかったのですから。
とはいえ、この辺りとてもビミョーな判断が求められます。親子の間で依存関係にあり性的な関係(近親相姦)にもなってしまう場合もありえます。こんな場合、犯罪として断罪し分離するだけでは、解決しないし、新たな性犯罪を誘発してしまう事になりかねません。
結論として言うなら、性的抑圧を問題視しないで、行為だけを取り締まっても本質的解決にはならないという事。
本質的解決には、当事者が性についてその体験や思いを自由に語れる事、当事者の性的自己決定が尊重されること。がまず求められます。その上で性の問題について様々な支援ができる理論や制度、援助組織が作られる事かな。
女であれ、男であれ自分の身体の一部である性(ちんこまんこ)について自由に語り合いたいし、誰か、特に権力に抑圧されたくないものです。
ろくでなし子が自分のまんこをデータ化して配ったことで有罪にされちまったけれど、なんとアナクロな司法判断。世界では20年ほどまえに女性運動の中で、女たちがまんこアートを表現していたのにね。
ファッション界でもこんな動きがあるんだってさ。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/13/vagina-dress-namilia_a_23206969/
そうそう、このところ忙しくて私もお掃除がままならなくて、ずいぶん事務所も汚れてたけれど、昨夜は久々にスタッフが手伝いに来てくれて、拭き掃除までして綺麗にしてくれました。
綺麗になったセンターにようこそ