私が以前関わった方で米国人の方がおられて、その方は日本語は片言で、難しいこと、デリケートな対話は難しく、距離的な事もあって支援も簡単ではありませんでした。
しっかりした支援にならなくてか、あまり良い結果にはならなくて、私の英語の出来なさが不甲斐なく感じられました。
この場合、言語が対話を困難にさせているってことはわかりやすいのだけれど、日本語で対話しているのに、まったく対話ができないとか、言葉が通じない、という状況になる事も実は少なくありません。これは歯がゆいですねぇ。
例えば、船上で泥仕合いを戦ってる人から、「こいつがこんなにひどいことをしてるから、俺はどんだけ苦しい思いしてるか・・」と延々と聞かされてる私は「そんなことが問題なんではなくて、船はもう沈没寸前だよっ」て伝えたいのだけれど、相手は戦いに必死で、私の声が聞き取れない・・って、そんな状況です。
人は自分の体験から学んだ価値観や思考の枠組みの中で判断し行動しています。様々なアプリを動かすためのパソコンのOSのようなもの。
そのOSが古くなって新しいアプリに対応できなくなったときにいくらパソコンをいじっても再起動してもこれはどうにもなりません。けれど、それまで長い間そのOSで何の問題もなく動いてて、それしか知らずそれを信じきってるとトラブった理由が理解できないし、アプリの問題やバグの問題として対応するほど、余計にトラブルを抱えてしまうことになりかねません。
日本語同士なのに私の言葉が通じない時って、私の使ってる言語OSとその方の使ってるそれが、あまりにも違いすぎるってことのようです。
少なくとも私は心理学や対人支援はもちろん、生物学やら人類学やらの知識を浅くであってもかなり広く学んできてるし、何より長年現場で多くの当事者と語り合い、回復を見守ってきた自負があります。
私のOSは人の心や暮らしを理解し問題解決するにはかなり優れたものと確信しています。その確信から導かれた言葉を伝えたいと思って語るけれど、その言葉が伝わらないのは、ほんと歯がゆいというか、残念というか・・
今は、そんなことが問題なんではなくて・・あなたの判断する基本OSそのものが問題なんだよ・・・って、どうやって伝えたらいいんだろ。
自分に問題があって、自分を変えたいんだっ、とやって来てくださる方は自分を変えるための作業にすぐ入れるけれど、自分に問題はないけれど、あいつが問題で困ってる、どうすればいいのか・・と問うてこられる方に対して、そもそもカウンセリングは相手を変えるための作業ではなくて、自分を変えるための作業だと言いたいけれど・・それもなかなか伝わりません。
特に「私は被害者、私は何も悪くないのに・・」と信じ込んでるDV被害女性に伝えるのは難しい・・確かに「あなたは悪くない」と私も言うけれど「相手が悪い」というのは私の仕事ではないし、相手を悪者にして叩くことでスッキリさせるような無責任な支援はしたくありません。
まあとりあえず、コーヒーでも飲みながらじっくりお話を聞かせてくださいな・・というのがとりあえず精一杯だけれど、語ってるうちに、少しずつクールダウンしてくるし、ヒートして事件化する事は防げます。
語り合う中で、いろいろ伝わればいいけれど、伝わらなければ問題が深化し、決局破綻し絶望し・・いわゆる底打ち体験に至るのだけれど、そんな時にやっと自分のOSが何の役にも立たなかった事実を受け入れることが可能となります。
そんな事態にはなって欲しくないけれど、そんな事態になった時に私を思い出してまた来て欲しいもの・・その時こそ自分を変えるチャンスだものね。
今日は久々に顔見せてくれた親子連れと半年前に出産されたママと赤ちゃん、が来談されました。
子供達は日々育つ中で、自分はどんな存在か、人間関係をどう作っていくか、言葉を自然に覚えるように無意識裡に学習しています。そう、0Sをインストールしています。
ママたちに伝えたのは、「親が新しいOSで動いてないと子供は周囲の古いOSをインストールしちゃうからね」ってこと。
私 ? 私はどうも両親に超先進的なOSをインストールされたらしく、そのOSがうまく作動するのはインストール後40年くらいたってからでした。だから私のOSはまだまだこれから数十年は問題なく機能することでしょう。