今度のメンズカンセリング講座では、「メンズカウンセリングにおける女性支援」がテーマなんだけれど、フェミスストの価値観を受けて行われている現在の女性支援が有効性が高くて問題がなければ、メンズカウンセリングで女性支援を行う必要はありません。
けれどメンズカウンセリングの再生センターで女性の利用者が増えているというとは・・・・現在の女性支援がいろいろ問題が起きているという現実があるということ・・それは・・・今度の講座の資料から抜粋してみると・・・以下の通りのようなことなんだけれど、ではそんな問題のない女性支援っていうのはどういうものか・・その答えは、講座でお伝えしますぅー。
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メンズカウンセリングに於ける女性支援
メンズカウンセリングは男性論に基づいたセラピーを言い、男による男のためのカウンセリングでも支援でもない。フェミズムは基本、男性支配からのクライアント女性の解放を理念とし、マクロなステージであれ、ミクロな対人関係でもその基本スタンスは変わらない。男の権力支配に対するアンチテーゼとしてフェミニズムは存在するので、支援においても、加害男性から被害女性を守るという理屈も当然の帰結。家庭においても女性は夫の支配で抑圧され傷ついていると言う現実のみから出発する。夫に対する妻の暴力的な言動は支援において考察すべき現実とは認識していない。
この援助論から導かれる現在の女性支援の問題点。
女性差別がある以上全ての男は抑圧者であり加害者であるし、そのことから派生するDVも社会構造が変わらない限り、加害者としての男性は変わりようがない・・と本末転倒な誤認がある。(社会構造としてのマクロな問題と個別の関係におけるミクロな問題との混同)このことがあって、加害男性を脱暴力化するための支援が始まらない(被害者優先)で、問題の本質的解決に向かわず、被害者支援が利権構造になり、DVがなくなると困る、という本末転倒な現実になっている。
女性は常に被害者であり弱者であり保護を要するから、シェルターや保護命令などで夫の暴力から保護されなければならない、との建前で一方的な処置(情報の遮断、対話の禁止)が講じられ、そのことで相手に対する情報がなくなり、妄想の恐怖を植え付けられる可能性が高くなる。(洗脳)さらに、自身の被害者意識が過剰に形成され、自身の暴力性、攻撃性が、隠蔽され正当化される。
女性被害者の自己信頼感も育たず、依存的で従属的な対人特性が支援者に対する依存、従属となり、自己肯定感、自己決定力や対人スキルが育つことを阻害してしまう。離婚しても、パワーコントローラーに依存する傾向は変わらずあるので、支援者に対する依存から、新たなパワーコントローラーに依存してDV被害を繰り返すことになりかねない。
被害者支援の中で男性の加害者性や暴力性を過度に見聞きすることで、男性不信、男性嫌悪の意識や価値観が刷り込まれ、対人関係が歪んだものになりやすく、それは子供の生育にも影響し良好な男性モデル、父親像を持たないまま、こどものネガテイブな家族像や低い自己肯定感をもたらすことになり、問題が世代間連鎖を起こすことになる。
かような状況から、いわゆる被害女性が加害夫から離れても、問題は解決されることなく、持続する不安や困難は逃避し続ける女性をして病理化したり、事件化したりする場合もある。こんな場合、事件や問題は、支援のあり方の問題とされることはなく、個人の問題とされる。
過日も面会交流中にこどもと無理心中した父親がいて、面会交流の制度化に反対する材料に使われていたが、面会交流の有無にかかわらず、母子家庭での母親の子供の殺人や再婚家庭での子殺しについての事実は語られておらず、面会交流が危険という悪意か無知による誤ったメッセージに過ぎない。親の子殺しに関して評価するのなら様々な事件にかんする客観的データをもとに論証すべきである。離婚をめぐる支援のあり方にこそ問題意識を向けるべきだろう。
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そうそう、先日八月のメンカン講座の会場確保に抽選会に出かけました。このところ、くじ運が悪いことが続いてたけれど、先日はカードナンバーが11で、余裕で会場ゲットできました。ラッキー♫