男女共同参画基本法だのDV防止法(配偶者の暴力防止及び被害者の保護等に関する法律)だので、建前としては女の人権を擁護する法律であることが謳われているけれど、その法律に基づいて制度ができ予算が組まれ、組織が動く。その結果、女の人権が守られるのならまあいい事だけれど・・
そのことで男の人権が抑圧されてたら、それはそれで新たな問題が起こってしまう事だし、ましてや支援と称して家族解体を進め、差別や抑圧が強化されてたら、何のための法律か・・・・
そのあたり、法律や制度を作る国というシステムに依存して生きる多くの専門家・・法曹人・・政治家・・官僚・・行政職員・・警察・・医療・・・学者・・すべからく権力と金に縛られてる人たちは、国のシステムに逆らう意見は言えない。
人権擁護を言いつつ激しい人権侵害を黙認する・・児相・・女性相談・・シェルター・・精神医療・・教育・・
幸い、私はそんな権力システムに依存してないので、誰に対しても何でも真実を話せるし、一人一人の命や暮らしのために最善を尽くす事もできる。
このところ、女性当事者の声を聞く事が多くなっているけれど、女性支援や子供支援でひどく傷ついたり、理不尽な家族解体を余儀なくされたとか、親子断絶を強いられた、など当事者の体験や痛みは大変なもの。
彼女たちの語りの中から見えてくるのは、司法に正義は無いし、行政も福祉も責任逃れ、警察は事件にならないと動かないどころか、でっち上げに加担する、そんな現実があるということ。
法治国家(とみんな思ってる)の日本でこんな事があるのか、というような事が現実に行われているけれど、そんな当事者の体験した真実は表に出る事はないし、あまりに異常なそんな話を真実だと理解するのも世間の人たちには難しい。
けれど、だれにも語れなかった、信じてもらえなかった体験を、多くの女性当事者が私に語ってくれるのは、私が当事者の語りのあるがままを受け入れ、寄り添い、可能な限りの支援を提供するからだろうと思う。
私が国という権力システムの金や権威権力にまったく依拠せず活動しているから、それも可能になったのだろうと思う。
実際五年前の冤罪セクハラ訴訟で、私が失ったものは、実は私の活動をより純粋に真実なものにする大切なものの獲得という事でもあり、量子的な現実の面白さを実感する現在の私。
そんな私、先日も書いたけれど最近は何やら忙しい・・昨日も四件のカウンセリングがあり、うち三件が女性・・なんだかんだと七時間ほどはお話を聞いたり対話したり・・の一日でした。夜には男性当事者の生活支援としてのクッキングセラピーを楽しみました。
慣れない手つきでクッキング・・親子丼、鶏肉の霜造り定食。デザートのイチゴショートケーキはもちろん私の手作り。
男も女も、これからは「生存可能性と自己決定」というスケールで支援を理論化すべきでしょうねえ、そんな時代です。これ当事者の語りから直感的に導いた私の判断です。根拠はありません。