昨夜のオススメはカレイのから揚げ野菜あんとかチキンカツとか、定番のとりからやタコライスもたくさんのオーダーが入りました。
日替わりになる頃にはぼちぼち帰る人たちもいたり、話がどんどん深まる人たちもいたり。深夜になる頃には高校生の娘も交えて離婚の議論になりました。
五年ほど昔の離婚劇について、娘が子供の立場を語れば、その体験に数十年前の自身の親の離婚時の体験が重なって、誰にも言えなかった思いを始めて語る大人もいたり・・・
親が心配するほど子供は傷ついてもないし、小六といえどすでに冷静に事態を判断して親の離婚の際に自己決定できたことなど・・・
それぞれの体験した離婚劇をその親と子だけではなくて、いろんな立場の大人たちと語れるのも、家族で離婚会議をやったり、離婚後もグルナイに関わり続けた親子だからなのだろうけれど、傷付いた家族が癒され育ちあうには、それなりの時間や、体験や思いを語り合い分かち合う場が必要ということか。
けれど、世間の離婚では子供の意見表明権は法的根拠にもならないし、子供が自身の将来について自己決定することもできません。子の養育について強い立場に立つ親のとったもん勝ち、逃げた者勝ちの、民法である以上、子供は離婚に際して、ひどく傷つき、離婚後にその傷が癒される支援も空間もありません。
DVや虐待という現実に対して、分離と保護、指導と監視、更生プログラムという現在の支援では、離婚に至る問題に対しての本質的な支援は不可能だし、修復的支援がないから離婚後、再同居後の回復も難しく、問題は再発し、連鎖してしまいます。
人が育つということはどういうことか、傷付いた家族が癒され回復するためには何が必要なのか、グルナイで試行される疑似家族というセラピーの中で、改めて実感させていただきました。参加された大人たち、子供達に深く感謝です。
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