今月27日には埼玉はヌエック(国立女性教育会館)の男女共同参画フォーラムでワークショップを持ちます。いわゆるフェミニストの拠点みたいなところですが、私は男性視点というか、メンズリブの視点で何年もワークショップを行ってきました。フェミニストは男性支配の構造から女性を解放するというのがそのドグマですが、それだと男は加害者で女は被害者という価値観からは抜けられません。
それで少なくとも女たちが幸せになってるならまだしも、女たちも救われていないと言う現実の中で、それはなぜか、どうすれば女も男も救われるのか、という視点が求められますが、男性支配からの解放にとらわれすぎてるフェミニストはその視点を模索している様には感じられません。
そこで、本来ならフェミニズムを通過した男たちが、新しい視点でジェンダー問題を語るべくメンズリブを立ち上げたはずだけれど・・・その男たちの多くは、ヒエラルキーに依存しない生き方をしようと言いつつフェミニストの性支配のドグマにすり寄って、自らもヒエラルキーを肯定しその権力構造によって飯をくう人たちに成り上がってしまいました。
フェミニストとエセメンズリブ男たちが現在のジェンダー問題をシステム化し援助という名の下に自らの利権構造に与しているのがDV支援ということになるのかもしれません。DV問題を一方的に男の加害者性に転嫁して、加害男性を更生・教育することで問題解決するかのごとく喧伝するのは、私には馬鹿らしいやら恥ずかしいやら。
それでは、加害男性も本当の意味で脱暴力できないし、被害女性もいつまでも弱き被害者として誰かのコントロールに依存するしかないということになりかねません。
私は、ジェンダー問題を単純に男加害者、女被害者とはみないし、暴力だけが問題だとも考えていません。問題の本質は個々人の尊厳より社会秩序を優先し、秩序維持のために様々なパワーで強者が弱者をコントロールする、そんな暴力的な近代の価値観が問題の本質だと考えています。
権威や権力を持つ者が、暴力行為で社会的権力を失った者に、更生・教育を施すということ自体が、DV加害行為とリンクすることであり、真の脱暴力には向かいません。これでは加害者は真の自己肯定にも他者に対する共感にも至らないからです。被害者も自身の傷つきからくる痛みや不安から解放され、誰からもコントロールを受けることなく自己決定していく力を得なければ、本当の意味での解決や回復には至りません。
その被害女性の回復のプロセスだけれど、加害者からの分離・保護はまず第一歩でしょう。それが物理的な分離を伴うこともあるだろうし、心理的な分離もあるでしょう。加害者からのコントロールを受けない仕組みの中で、安心を確保してもらうことから回復が始まります。
いくら分離しても、追跡の恐怖に怯え、不安の中で暮らしていては、回復には至れません。その恐怖や不安から解放されるためには、加害者の脱暴力は大切だし、被害者を心理的にも物理的にも加害者の攻撃から守る援助者の加害者対応スキルも必要です。
多くの被害女性は単に夫婦間の問題で悩んでいるだけではなく、その背後に生育の問題も抱えていて、親のコントロールを受け続け、コントロールに依存するという態度を学習しています。自己決定しないとか、問題を加害者に転嫁してしまうとか、加害者に依存するとか。あなたは悪くないという言葉でそれらの問題に蓋しても、問題は人を変えて状況を変えて再燃します。私が「離婚では解決しない」ということです。
そんな被害女性の回復には、安心・安全の確保の次に、過去の痛みからの解放が求められます。思い出して辛くなったりフラッシュバックしたりすることなく、体験を淡々と語り、笑って過去を振り返られるようになれば、痛みから解放されていると言えるかもしれません。そこに至るプロセスでは痛みから湧いてくる加害者に対する怒りも出てきます。その怒りから暴力的な言動になることも少なくありません。いわゆる逆転現象です。これも大切なプロセス。
怒りが昇華された頃、他者のために存在する自分ではなく自分のために存在する自分というイメージも実感もわかず、自分が空っぽになった気分とか何をしていいかわからない、何がしたいのかもわからない・・と言う被害者の方も少なくありません。自分さえいなくなればいいという思考から抜け出るのは簡単ではありません。
そんな被害女性が、自分の心の中に湧いてくる情動・・眠りたいとか、食べたいとか、だれかと話したい、一人でいたい、などなどにOKをだして、そんな自分のささやか感情にしたがって動くことの気持ち良さを大切にする。そしてその気持ち良さを誰かと分かち合うことで、自身の情動を肯定していくのも大切なプロセス。
自分の感情を受け入れ、その感情に従って動くこと・・自己決定していくこと・・そしてその阻害要因に対して、働きかけ、関係づくり、自由な自分の世界を作り上げていくこと、その力を獲得すること・・・その暁には、今の自分らしい自分になれたのも過去の体験全てがあったからと、人生を丸ごと受け入れることも可能になります。
ここに至るには、本人のたゆまぬ努力も必要だろうし、それを可能にするのは受容的共感的支援者の存在でしょうか。そんな支援者がたくさんいればいいけれど、残念ながら、そんな支援ができる人はほとんどいないのではないかと、残念に思う私です。
そんなことを多くの被害者支援の現場で働く方たちにも伝えたくて、ヌエックでのワークショップとなるわけです。当日は私の支援を受けて回復した被害女性や加害男性、援助者になった当事者男性などなど、いろんな立場の当事者たちが登壇してくださいます。関東方面の方、ぜひいらしてくださいねー。