先日も引き離しにあったパパたちの話を聞かせてもらったし、以前から、引き離しにあって、傷付いた親の話を聞くことは少なくありません。引き離しにあって初めて、司法や法律のおかしさに気づき、そのことを訴える当事者は少なくありません。
そんな当事者はまた依頼人の法益(金)を獲得すべく働く弁護士の理不尽さや、そんな弁護士に頼りきって、まともな対話をしない相手方に激しい怒りを感じる人も少なくありません。
特に、理不尽なDV対応で、納得のいかない男性にしてみれば、悪感情がわき起こるのは人として当然と言えば当然。けれど、その感情に任せてことを争えば、家庭が焼け野原になるだけのこと。家族の修復も復興も不可能になってしまいます。ネットではそんな男性が少なくないこともわかります。
とはいえ、私は引き離された男性、DV加害者とされた男性の話を聞くだけではありません。DVやモラハラで傷つき壊れかかってる女性の話を聞くことも多いし、そんな被害女性をシェルターに迎えることも少なくありません。
そんな女性にすれば、何を言っても話の噛み合わない夫、暴力的な支配を改めない夫から逃れるには今の不十分な被害者支援に頼らざるをえないし、不十分な法律や制度のもとでの支援では安全な対話は不可能で、いきおい理不尽な司法や行政に委ねるしかない、との判断になるのもまた人として当然のこと。
それぞれの話をお聞きすると、問題の根が深く、単純な善悪で割り切れることではなく、誰が悪いでもないということもわかります。私は様々な問題の根に掘り進んでいろんなアプローチで問題解決を目指します。
幸い私につながることのできた当事者は、焼け野原になるような支援は選ばないので、修復的な結果になりやすいのも事実です。加害・被害に関わらず・・・・。
今日お話をお聞きした、男性、夫婦の対話について話が及んだ時、私は彼に質問してみました。「妻さんと長い間暮らされていて、料理や洗濯をしてくれた妻さんに、ありがとう、とかお疲れさん、とかねぎらいや感謝の言葉を伝えられたことはありますか」と。すると、その方「いやー、それどころか、期待した料理でなかったら、食べもせず不機嫌な顔してたり、文句いってたりしました、今から思えば、ひどいことを言ってたもんです。妻には辛い思いをさせてしまいました。離婚を突きつけるのも当然です。けれど、申し訳なくて・・・」と、声を詰まらせておられました。彼に限らず多くの男たちは家族や親しい人たちに対して、ありがとう、というのがどうも下手な様です。
目先の問題の背後にある、相互のコミュニケーション不全や、思いやりや感謝の気持ちのない日常とか、ゆとりのない仕事のストレスとか、本来家族にあるべき大切なものがいつしかなくなっていて、そのことに気づかなかったがゆえに、問題が起こってしまったということ。そのことに気づいてもらうのが私の仕事。
離婚するにしてもしないにしても、きっとその方は、妻さんとはいい関係を作って作ってくださるのではないか、と期待した私です。彼だけではないけれど、葛藤のある夫婦には「ありがとう」の言葉がないんですよねえ。
私も、ありがとう、とか、美味しいとか、助かりました、とか言ってくれる人がいればこそ、金にはならなくても、今の活動を続けられるというもの。金や地位よりも、セラピストの私としては、クライアントの回復が何より私の宝だし、その宝が私の自信にもなってます。
もちろん、こんな私ですから、家族はもちろんいろんな方にありがとうというのも抵抗がないし、むしろ気持ちがいいものです。まいにち私のブログを読んでくださってる皆さんにも、ほんとに日々感謝です。いつもありがとうございます。おやすみなさい。
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