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宝は天に積め  幸不幸って??

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私のところには家族の問題や心の問題に悩み苦しんでおられる方が来られます。私は毎日そんな方のお話を聞かせていただいているわけですが・・・もちろん本人たちはその状況にうまく対応できず、辛い思いを重ねているし、その辛さやしんどさは私も十分に理解できるし、共感もするわけですが・・・

私はそんな方がそのしんどさや辛さから解放され豊かさや感動に満ちた日々を過ごせるようにお手伝いをしていくわけです。

けれど、そんな方達の多くは困難や不幸の原因は状況だったり相手の問題に由来するとして、相手や状況を変えようとさんざん努力したけれど、どうにもならないどころかかえって問題が拗れてしまったという方も少なくありません。弁護士や相談員、行政や司法の力を借りたのにと。

で、私は状況や相手を変えることより、問題とは何かどうしてそんなことになったのか、本人が自分の問題として理解し、その問題を終わらせるためのお手伝いをしていくわけです。

「相手は変えられない変えられるのは自分」ということだけれど、自分が変われば相手も変わるし状況に対する思いも変わっていって問題と思ってたことが問題ではなくなったり状況は変わってないのに、まったくしんどくなくなった不安もなくなった・・そんな展開になっていきます。セラピーがうまく機能した場合にはね。

でもねー、これって結構難しい作業らしい・・自分の価値観や信念を、時には大切にしてたものを手放すということだから、自分の存在が崩壊していくとか自分が無価値になっていく、そんな恐怖に囚われることもありますからね。一人では怖くてできないのは当たり前。

パソコンのOSをフォーマットすればいいということだとはわかっても、新たなOSがうまくインストールできなかったら、とか、新しいOSでアプリがうまく作動するか・・など、自分の心に自信のない人ほどその不安や恐怖は大きいもので、今までの自分を手放して新しい価値観や行動様式を取り入れるのは簡単ではありません。

特に家族とかお金とか仕事とか・・それまで自分が頼っていたものを手放すのはとても怖いでしょう・・しがみつきたくなるのはよくわかります。けれどしがみつくほど問題は拗れて解決が難しくなっていきます。

昔々・・私がまだ中学生だった頃か、近所の幼稚園で子供たちを何人か集めて聖書に関するお話しをする会に参加していた時がありました。その頃から少しずつ聖書を読むことを覚えていったようにおもうけれど「宝は天に積め」というマタイの言葉をいつの頃か知ることになります。

LDで社会参加できないだろう、そしてしたくもない私にとって金を稼ぐことは大して価値はないことだと理解したのは、大きな安心材料だったのかもしれません。金や地位に頼らなくても幸せになれるのだからと・・。

とはいえ、社会適応不全の私は思春期過ぎから実存不安になり、その恐怖から逃れるためにアルコール依存になっていくわけですが・・・

30歳になる少し前、あるエピソードで不安や恐怖から逃れることができたのですが、それは私の命そのものが天からの預かり物で天命に従えばいいだけのことで、実存とはあるがままの私を天に委ねることと理解し、いわゆる宗教的実存の思考になることでそれまでの実存不安を終わらせることができました。

社会とか他者とか、それらの評価に委ねるのではなく、あるがままの私を私が受け入れ、自由にすればいいのだと・・その道のりは思し召しによって導かれるのだから「思い煩う」必要もないと。

それ以降、仕事をすることをやめ・・それまで以上にやりたいことだけして生きる生活になりました。もちろんさほどお金は入ってきませんから、お金のない暮らし、誰にも縛られない暮らしを楽しむことができるようになりました。

お金のために命をすり減らすのとは全く逆の選択です。家族を養うこともなく、蓄財することもなく、でも楽しく豊かな(心が)生活ができるようになったし、それは今も変わりません。こんな私だから、いろんな価値観や人間関係に縛られて辛さを抱え込んでしまった人たちに、大丈夫・・とあっさり言えるのかもしれません。

雨上がりの朝、名残りの紅葉が美しい

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