女は弱く、男は強い、弱い女は保護されるべき、弱い女をいじめる男は最低・・・この言説が当たり前のように語られ、信じられ、制度化され・・・。これでみんなが幸せなら問題はありません。けれど、様々な問題が起こり、女は傷つき・・そして男も傷つく・・。どこかおかしい・・そのことに気づいた女たちが、女たちにもパワーを、権力を・・と主張したのは必ずしも間違ってはいないのだけれど・・フェミニズムの台頭で女たちが解放され、平等が達成されたか・・NO !!
私の考えるに、女と男の問題というより、問題の本質は権力の問題と自己決定の問題のように思います。フェミニズムという力をつけた女たちが何をやったか・・・力ある男たちとつるんで力ない女や男を抑圧しただけで、差別の構造は何も変わらない。
本当に女は弱く、男は強いのか、弱い女を護ることが女の幸せになるのか・・そのあたり、厳密に研究する研究者はほとんどいません。本来なら男性学を研究する学者がやるべきことだけれど、男性学では金にならない、飯も食えない、社会的評価も得られないからか、男性学研究者は全てメールフェミニストになり果てて、真実の探求を放棄しています。お粗末極まりないのが現実。
ワレン・ファレルの「男性権力の神話」「広がるミサンドリー」を訳した久米泰介の仕事は評価するけれど、必ずしも彼がジェンダー問題、男性論について理解しているとも思わないし、研究者として仕事してるわけでもなく、期待もできません。
そんな権力構造の中で支援をするということは、支援に権力構造を持ち込まないということが不可能であることを意味します。絶対的な矛盾を支援者は抱えるわけだけれど、その矛盾を解く支援論も持たないまま知識だけの平等な支援を行おうとしています。それは無理です。
そんなお寒い現状のもと、支援の現場で、様々な家族、多くの女や男の当事者と関わってきた私、そんな私は幸いにも世の権力構造から離れたところで一人の当事者として渦中の当事者の支援を続けることができました。そんな私が支援の中で学んだこと、理解したことは、問題は性の問題ではなく、権力の問題だということ。ジェンダー意識が権力の問題に対する理解を難しくしてるということ。女と男を対立させ相互理解を難しくするために、様々な性規範を作り性の分断を図ったのが近代かもしれません。女らしく男らしくと。最近では #Me Too運動のように、巧妙に。どちらが加害者で抑圧者かその対立の構造自体が問題で、性の問題を男対女の構造として捉えるのではなく、個々人の性の問題として理解すればことは簡単です。性を個性に還元すれば済むだけの話。性被害を受けるのは「女」ではなく、「弱者」です。キリスト教文化の中で幼い男もそして女も過酷な性被害を受けているのは周知の通り。弱者にされた女や障害者、子供はすべからく被害者になるし、権力を持った女、障害者・・そして子供のままの自我の大人もまた、自身の痛みを転嫁し弱者を暴力的に支配します。
だから問題解決には新しい視点が求められます。女が被害者で男が加害者でという認識ではなく、暴力を振るったものが加害者で振るわれた者が被害者であるという事実を受け入れること。性別に関わりなく、被害者は保護し加害者は脱暴力支援をするとか。社会一般においても能力と意図に応じてポストを与えたら、政治でも企業活動でも、人口比の通りに男女も均等になるでしょう。女が弱者なのではなく、性や生殖における自己決定を許さない教育や文化が問題であり、その社会が女を弱者にしているのでしょう。そのあたり企業における賃労働が不向きな男性は家事労働にシフトすれば問題は緩和されます。
実は私、幼い頃から社会適応が下手で、いわゆる会社勤めも苦手でした。うっかり結婚したけれど、連れ合いを養うとか家族のために働くとかいうことをしたくなくて、当初からダブルポケット。相手の経済には一切かかわらず、それぞれの自己決定に委ねました。連れ合いがいくら稼いでいるか、使っているか、貯めているか、私は知りもしないしノータッチ。家事労働は、台所は私、洗濯は連れ合いの家事分担とし、経費は折半。今もそれは同じです。暴力という意味でも経済という意味でも、私の家族は権力構造にはなく、それぞれの自己決定、自己責任に委ねられています。妊娠・出産に関しても、私は手伝ったつもりはなくて、主体的に関わってきました。男には関われない分野では決してありません。
話が長くなりました。私は女性被害者の支援も多く行ってきましたが、被害女性が弱者であることをいいことにこちらの支援を押し付けることはしたくないし、女性の自己決定を抑圧したくもありません。人に支配されない、コントロールされない強い女になって欲しいと願っています。弱いからいつまでも逃げろ隠れろと言いたくないし、それで解決するとは思いません。女性には嫌なものは嫌、欲しいものは欲しいと自己主張でき、自己決定し自己責任を全うする力をつけてほしいもの。そのためには、長年抑圧されてた怒りを吐き出すこと、時には逆転現象と言われる状況になることもプロセスとしては大切なことと理解しています。
先日の代々木のワークでも、加害男性たちの言葉を聞いてるとムカついてきた、とある女性が発言してたのがとても印象的で、面白く思えた私。ムカついた理由を語ってもらうことで、理屈抜きに、心は痛むということ、痛みは簡単に終わらないということをを加害男性も実感として理解できたことと思います。さらに、その彼女心の痛みが親のコントロールから来ていることで、今も終わらないと語ることで、実は加害男性も心の奥底に蓋してた自らの痛みにも寄り添うことができたのかもしれません。問題は妻との問題を超えて、それぞれの親の支配の問題をいまだ終わらせていなかったことに対する気づきです。
ほんと・・女たちよ、強くあれ・・男たちよ優しくあれ・と伝えたい私。