支援・援助論

育てるということ、育つということ・・支援と回復と

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加害だろうと被害だろうと依存だろうと、およそ家族の問題の当事者の言動は、まともには理解できないことが多く、子供じみていたり、依存的であったり・・・確かに体は大人だし、話すことは一人前だけれど、感情的になった時は、論理の飛躍や、激しい混乱や解離、がおこり、冷静な判断はできません。だだこねる四歳児さながら。子供なら、悪意とは取られなくても、大の大人では責任能力があるから、責任を問われるし、悪意も疑われます。

けれど、私は多くの当事者と語り合って、そこには、育ちきれてない人格的に未熟な人がいると感じることが少なくないというより、ほとんどの人がそれを感じさせます。マズローのいう、愛情や承認などの欠乏欲求が満たされないまま、心に大きな虚空・・・心の穴ポコを抱えている人がほとんど。

誰かに、甘えたい、認められたい、愛されたい・・・そのために、努力していい成績とったり、いい会社に入ったり、結婚したり、家を建てたり・・けれど、それらで得られる満足はいっときのもの、終わりなき努力に疲れ果て、ふとしたことで、暴力の加害になったり被害になったり、心病んだり、体が壊れたり・・・様々な家族病理に陥ります。

世間の支援は、その症状に対する対応はしても、心の中の子供の面倒までは見てくれません。セラピーでトラウマやインナーチャイルドの問題に言及はできても、その問題を具体的にどうするか・・・セラピーとしてもなかなか難しいところ。

そこで私が行うのが、多様な人格モデルが影響し合う擬似家族としての家族療法です。多様な家族機能を有するコミュニティーです。実際の単一家族では多様な価値観や人格モデルは提供できないし、相互に過去の体験に縛られているので、あまり有効性は高くないけれど、多様な人格が集まったコミュニティーによる家族療法は、ともに刺激しあい、癒しあい、育ち合うことが可能です。そんな機能をもたせた場としてグループワークやグルメナイトなどを開催しています。

それらの場では、強制的に役割を割り振られることもないし、意に反して何かさせられたりさせられなかったりもありません。あくまで、自主的な自己決定に委ねられます。自分のあるがままで、いられるし、よほどのことがない限り、批判も排除もありません。

 

価値観から自由で、あるがままの自分が自由に自己決定し、他者との関係を構築したりスキルアップしたり・・そんな中でやっと自分が何者か、自分とは何か、自分にとって家族とは何か・・などの今まで何も考えなかった自己の有り様も考え始め、新たな自己概念の再構築がおこります。それが「心が育つ」ということでしょう。言ってみれば「魂の再生・・・産まれ直しやら育ち直し」です。

そーいえば昔、有島武郎だったか「生まれ出ずる悩み」を読んだのは高校の国語の教科書だったか・・・私が私であることの困難や不安に、日々苛まれていた頃・・・大変といえば大変だったけれど、その困難や不安があればこその今の私。あの実存不安がなければ今の私はないし、あの時期、心の奥底にいずれ萌芽する私が培われてたんだろうとも思う。

そんな私だから、魂の再生・・・のお手伝いが苦にならないというより、かなり面白く心地よい・・私も育てられてるという実感もある。当事者性の支援っていう私の原点は、このあたりにありそかな。

ブドウとバラの新芽

ボケの花の新芽   いずれも・・・春が楽しみ。

 

 

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