五ヶ月ほど前に書いてたブログ、読み返してみたら、我ながらいいこと書いてんな、と自画自賛で、再掲したくなりました。日本人が金融資本に支配された安倍自民に奴隷化されつつある現在、ますますこの概念は重要。フランスでは同じく資本に尻尾振ったマクロンに、ノーの意思表示を示してるもんね、多少暴力的だけど。引き換え日本人はねぇ・・・・タマ抜かれてるわ・あっ失礼お下品でした。
生産性ないし・・・
5か月 ago
ほんと、またおバカな発言が・・・生産性ってなんじゃらほい。一番生産性のない人間は、国会におるジジイだわ。居眠りして野次飛ばして、わけも分からず安倍の意見は全部賛成、議会の機能も生産性もおっぽり出して、税金を自分たちやお友達のために無駄遣いすることしかやらんやつら・・だよねぇ。
と言うわけで、昔の私、生産するほど収奪されることに気づいてた(昔昔読んだマルクス先生の教え)から、三十年前に生産しないという選択をしたわけ。そう、働かないと言う選択。
そのためには働かないと食えない、との洗脳から解かれる必要もあるわけで、できるだけ消費しないという選択も選びます。(参考 マーク・ボイル 「僕はお金を使わないで生きることにした」)
実はこうした私の選択は私の半世紀前の直感から導かれているわけで、世間の価値観に適応できないLD(学習障害)の私の必然の選択で、とても優れた選択と思うけれど、そういえば昔、イリイチが「アンプラッギング」と過激な主張をしてたことも、私の判断の材料のひとつかも。
キーワードはやはり「お金=マネー」です。お金が単なる信用の裏付けであるうちはいいけれど、お金を通じた人々の支配と収奪の目的のために使われるツールであるとしたら、その支配から脱するにはお金を通じた生産や消費の構造から一抜けすることかな。
資本の巧妙な洗脳と支配にはなかなか皆さん気づくはずもなく、どんどん搾り取られて、抵抗もできなくされていってます。奴隷化ですね。私は幸い、LDで適応不全だったから洗脳されずに済みました。
男らしさ、家族意識、勤労意識、納税の義務、医療や司法に対する信頼、などなど、ことごとく常識から逸脱した選択をし生活してきました。おかげで奴隷にならずに済みました。
「私の人生私が決める」「搾取しないされない私」「支配しないされない私」こんな私は経済的支配の構造に巻き込まれず、その構造から利益を横取りすることすらできてるかも・・・だからいまはちょーハッピーだし、不安も困難もありません。
ああっそうだ、書こうと思ってたのは、昨夜の女と男の非暴力ワークのことでした。スカイプ参加も含め男女七名の集まりに。お題は「リスクマネジメント」でした。
中には「文明崩壊のリスク」を言う人もいて、私の「経済崩壊のリスク」とリンクしてて私も嬉しくなりました。
社会を維持する価値観やシステムが崩壊した時に、人はどれだけ人でなくなるか、獣以下になりゴミ以下になる、そのリスクを考えてマネジメントできてたら、たいていの困難は大きなリスクには思えなくなってくるんだけれどね。
ということで、生産性と人生のリスクマネジメント、常識から離れて考察してみるのもいいかも。自分の命は自分で守るしかない時代ですからねー。
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