昨夜の男ワーク、ファシリのテルさんが出してくれたお題は「怒ろう」でした。私も以前パット・パルマーの絵本「怒ろう」を使って、怒りのワークを行っています。
常識的にはDVになるのは怒りを抑えられないからとか、怒りはよくない感情だから、出してはならない、と考えられているようだけれど、その言説は正しいのでしょうか? 実は・・・・
怒りという感情はしばしば暴走して暴力に発展するけれど、暴力と怒りは別物で怒りを理解し怒りを適切に表現することで、自分を守り世界を変える勇気にもつなげることができるというもの。
逆に怒りをよくないものと押さえ込んで我慢していると、怒りは溜まりに溜まって突然爆発、暴力になってしまいます。
昔々、私は私を抑圧しようとする教師に怒りを暴力的に表現していたけれど、私の怒りを否定的に自覚したことはありません。けれど、暴力的な表現ではなく、もっと健全?(したたか?)な表現を学んで、今に至ります。そのあたり、パット・パルマ〜はうまく表現しくれてます。
そんな私は今の政治状況・・・怒り心頭と言えなくもない。腐った権力が都合悪い情報は隠蔽し、バカな国民を騙して金持ちのためのやりたい放題。司法も立法も行政も警察も・・国民のためではなく権力のため利権のためにしか動かない。この半世紀一貫して・・・。
結果、非正規雇用の拡大、実質賃金の低下、所得格差の拡大、労働過密、歪んだ司法判断、権力の癒着と利権化があり、国民の人権が無視され、結果、DVや引き離し問題が起こっています。
昨日も、警察にも児相にも司法にも行政にも見放された引き離し当事者のお話を聞かせていただきました。もちろんその方自身の問題もあるけれど、その問題も様々な援助者の不適切な対応が助長させてると言えなくもない。ほんと胸痛む話です。
こんな腐った国に誰がした・・・実は国民自身なんだよねえ。半世紀の間まともな政治家を選んでこなかったんだもの。
以前、日本死ね というネットのつぶやきが国会で取り上げられたけれど、私も死ね、と言いたくなるほどの怒りを感じています。そんな私の殺意を感じるほどの怒りは多くの政治家に向かいます。
今度の選挙で怒りを義憤として現わせるのか、またぞろぺらい言葉に騙されて腐った政治家を選び続けるのか・・・自民も希望も・・私には同じ穴の狢、日本には絶望しかないのかもしれないね。まあいいけど。日本が死んでも腐っても。私はそんな腐った日本と心中するつもりもないしね。
とはいえ、腐り果て崩壊したあとの更地の日本に芽吹く希望の種は撒いておきたいもの。小池の「希望」みたいなちゃらくて嘘くさいものではなくてね。さてさて、どうなることやら、10/22。